「大韓民国」の版間の差分

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|alphabet=Republic of Korea
}}
'''大韓民国'''(だいかんみんこく、{{lang-ko|대한민국}}、[[朝鮮における漢字|漢字]]: {{lang|ko|大韓民國}}、{{lang-en-short|Republic of Korea,Korea Republic,South Korea}})、通称{{読み仮名|'''韓国'''|かんこく}}は、[[東アジア]]に位置する[[共和国|共和制国家]]。首都は[[ソウル特別市]]。[[冷戦]]で誕生した[[分断国家]]のひとつであり、[[朝鮮半島]]全域を領域と有権主張しているが、実際には半島南部のみしかのみしか実効支配していない。
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==概説==
[[大韓民国憲法|憲法]]上は[[鴨緑江]]、[[豆満江]]以南の「朝鮮半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在[[北緯38度線|北緯38度]]付近の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]以北は[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の統治下にあり、韓国の施政権は全く及んでいない。[[朝鮮戦争]]で争った北朝鮮とは[[1953年]]に[[朝鮮戦争休戦協定|休戦]]したが、その後も断続的に軍事的対立や小規模な衝突が発生している。
 
政治面は[[1980年代]]半ばまで独裁体制が取られていたが、[[1987年]]の[[民主化宣言]]によって成立し、現在まで続いている[[第六共和国 (大韓民国)|第六共和国憲法]]に基づく体制は[[民主主義]]政体と評価される<ref>[http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170531215829.pdf?id=ART0009097129 韓国第六共和国憲法と韓相範教授の憲法学 塩津徹]{{リンク切れ|date=2021年3月}}</ref>。
正式名称は、[[ハングル]]表記: '''{{lang|ko|대한민국}}'''、[[朝鮮における漢字|漢字]]表記: '''{{lang|ko|大韓民國}}'''。読みは、テハンミング<sub>ク</sub>{{Audio|Ko-Daehan Minguk.ogg|発音}}。略称は、'''{{lang|ko|한국}}'''({{lang|ko|韓國}}、ハング<sub>ク</sub>)である。
 
「'''韓'''」は、古代朝鮮半島の南部にあった「[[三韓]]」と呼ばれる[[馬韓]]、[[辰韓]]、[[弁韓]]の国々のに由来する[[朝鮮民族]]の別名で、[[1897年]]に当時の朝鮮国([[李氏朝鮮|朝鮮王朝]]が[[清]]から独立するにあたって使用した[[国号]]「[[大韓帝国]]」に由来している(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については[[大韓帝国#国名]]を参照のこと)。[[1910年]]の[[朝鮮併合|日韓併合]]後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、[[1919年]]に[[朝鮮独立運動]]の活動家たちが[[中華民国]]で「朝鮮の[[亡命政府|亡命政権]]」([[大韓民国臨時政府]])を樹立する際、[[共和制国家]]の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については[[大韓民国臨時政府#名称の由来]]参照のこと)。
 
現在の「大韓民国」という国号は、[[李承晩]]、[[金九]]などの「[[大韓民国臨時政府]]」を正当な独立運動の主体と考える[[大韓独立促成国民会]](独促国民会)の強い意向により決まった。
 
=== 朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称 ===
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮政府は、自国や自民族の呼称として「[[朝鮮]]」を用いており、かつ韓国を[[主権国家]]として正式に承認していない。南北朝鮮は、[[東西ドイツ基本条約]]を結んだかつての[[東西ドイツ]]とは違い、[[条約]]に基づく相互[[国家の承認|国家承認]]をしていない。[[1991年]]の[[南北基本合意書]]に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が[[批准]]を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮の人々は、韓国政府が[[実効支配]]している地域を{{読み仮名|'''南朝鮮'''|みなみちょうせん|{{読み仮名|{{lang|ko|남조선}}|ナムジョソン}}}}と呼んでいる。韓国政府をアメリカ合衆国の[[傀儡政権]]と見なして、「南朝鮮傀儡」と表記することもしばしばである。また、[[中華人民共和国]]でも韓国との国交樹立前に教育を受けた世代に南朝鮮の呼称が通じやすい。
 
韓国(南朝鮮)の人々も、大韓民国建国まで、韓国政府の[[実効支配]]区域([[38度線]]以南の朝鮮)に居住する[[朝鮮民族]]の間でも、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いていた。しかし、韓国と北朝鮮は、[[1948年]]の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位をめぐって対立しており、[[1950年]]には[[朝鮮戦争]]によって甚大な被害を受けている。このため韓国の人々は、大韓民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]や[[李氏朝鮮]]を想起させること<ref group="注">「李氏朝鮮」は韓国では単に「朝鮮」といい、[[衛氏朝鮮]]、[[箕子朝鮮]]は「{{読み仮名|古朝鮮|コジョソン}}」という。「李氏朝鮮」「李朝」という表現は「[[日本帝国主義|日帝]]時代に使用され始めた歴史用語だ」と忌避される傾向がある。</ref> などの歴史的・政治的事情により、「朝鮮」という表現を避ける傾向が強い。
[[朝鮮]]は[[1910年]]の[[韓国併合]]によって[[日本統治時代の朝鮮|日本の統治下]]に入り、国際的に[[韓国併合ニ関スル条約|併合の合法性]]を問題視する国もなかった。しかし、[[第二次世界大戦]]の勃発で[[日本]]と[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が敵対するようになると、連合国の首脳は[[1943年]]に発表した[[カイロ宣言]]の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」ことを宣言した<ref>[http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html カイロ宣言]([[国立国会図書館]]のホームページより)</ref>。[[1945年]]2月、[[ヤルタ会談#極東密約(ヤルタ協定)|ヤルタ協定]]にて連合国首脳は戦後朝鮮を[[アメリカ合衆国|米]]・[[イギリス|英]]・[[中華民国|中]]・[[ソビエト連邦|ソ]]4か国による[[信託統治]]下に置くことを決定<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。</ref>、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいて[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]は[[8月9日]]の[[ソ連対日参戦|対日参戦]]後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。[[1945年]][[8月15日]]、日本が[[ポツダム宣言]]の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を[[光復節 (韓国)|光復節]]という[[祝日]]に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている<ref>[https://www.sankei.com/politics/news/180506/plt1805060005-n1.html 日本政府、南北共闘を警戒 板門店宣言「民族共同行事」で 慰安婦・徴用工問題が再燃も] [[産経新聞]] 2018/05/06</ref>)。
 
光復後、朝鮮は[[北緯38度]]以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)を[[アメリカ軍]]にそれぞれ占領された。米軍司令部は[[9月7日]]に朝鮮における軍政([[占領統治]])実施を宣言し、[[朝鮮独立運動|独立運動家]]らが自発的に樹立した[[朝鮮人民共和国]]や[[大韓民国臨時政府]]の[[政府承認]]を否定した<ref name="閔炳老40">[http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2003/2/20030204.pdf 閔炳老著『韓国の憲法事情 諸外国の憲法事情3』(国立国会図書館調査及び立法考査局)] p40</ref>。[[9月9日]]に[[アメリカ軍|米軍]]は[[朝鮮総督府]]から降伏文書の署名を受け<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/misc/2009/08/17/9000000000AJP20090817002700882.HTML 今日の歴史(9月9日)] [[聯合ニュース]] 2009/09/09</ref>、南朝鮮では新設された[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁]]が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、5-7頁。</ref>
 
米軍軍政下の朝鮮半島南部には幾つかの政治勢力が存在した<ref name="kokusai16">{{Cite book |和書 |author=木宮正史 |title=国際政治のなかの韓国現代史|page=16|publisher=山川出版社|year=2012}}</ref>。このうち[[李承晩]]を中心とする[[右翼|右派]]のグループは米国ともっとも近い関係にあった<ref name="kokusai16" />。しかし李承晩は米国本国との直接のパイプを見せながら米軍軍政に対して接したため軍政の当局からは厄介な存在として扱われていた<ref name="kokusai16" />。ただ李承晩には長年本国を離れていたため国内に組織的な支持勢力を持っていないという弱点もあった<ref name="kokusai16">{{Cite book|和書|author=木宮正史|title=国際政治のなかの韓国現代史|page=16|publisher=山川出版社|year=2012}}</ref>。右派の政治勢力には李承晩のグループとともに大韓民国臨時政府の中心となっていた[[金九]]のグループがあった<ref name="kokusai16" />。さらに右派には[[宋鎮禹]]や[[金性洙]]など[[韓国民主党]](韓民党)を結成した政治勢力がおり、韓民党は財政的基盤では他よりも優位にあった<ref name="kokusai19">{{Cite book |和書 |author=木宮正史 |title=国際政治のなかの韓国現代史|page=17|publisher=山川出版社|year=2012}}</ref>。一方、[[左翼|左派]]の政治勢力には[[朴憲永]]のグループがあった(朴憲永はのちに北朝鮮へ越北)<ref name="kokusai19"/>。このほか[[呂運亨]]を中心とする[[中道左派]]のグループや[[金奎植]]を中心とする[[中道右派]]のグループが存在した<ref name="kokusai19"/>
 
第二次世界大戦後の朝鮮半島南部では[[左翼・右翼|左右]]対立が激しく、無償農地改革を主張していた左派勢力のほうが優勢だった<ref>{{Cite book |和書 |author=木宮正史 |title=国際政治のなかの韓国現代史|page=18-19|publisher=山川出版社|year=2012}}</ref>。しかしソ連が提案した朝鮮半島の国際信託統治案をめぐって左派が「賛託」と呼ばれる賛成派につき、右派が「反託」と呼ばれる反対派についたことを契機に状況は変化した<ref name="kokusai19">{{Cite book|和書|author=木宮正史|title=国際政治のなかの韓国現代史|page=17|publisher=山川出版社|year=2012}}</ref>。連合国は1945年12月の[[モスクワ三国外相会議]]にて朝鮮半島の[[信託統治]]を協定し、翌[[1946年]]1月から[[京城府]]で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。しかし、共同委員会は信託統治受け入れに反対する李承晩、金九ら大韓民国臨時政府系の右派の扱いをめぐって紛糾し、米ソ対立から[[1947年]]7月に決裂した<ref name="閔炳老40"/>。
 
アメリカは朝鮮問題を[[国際連合]]に持ち込み、国連は1947年[[11月14日]]に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌[[1948年]]1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行った。ソ連がUNTCOKの入北を拒否したため、アメリカ主導の国連は[[2月26日]]にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九、金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や[[北朝鮮人民委員会]]による南部単独での総選挙反対を押し切って[[5月10日]]に[[初代総選挙 (大韓民国)|南部単独総選挙]]を実施した。
 
===年表===
大韓民国成立後の歴史は、[[憲法]]([[大韓民国憲法]])による[[政治体制|政体]]の相違によって、七つの時代に区分される
;1945年 - 1948年:[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|アメリカ軍政庁期]]([[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]、非独立)
:1948年:[[済州島4・3事件]]。
:1948年5月10日:南朝鮮単独での[[初代総選挙 (大韓民国)|初代総選挙]]が実施される
:1948年7月12日:[[大韓民国憲法#制憲憲法|大韓民国憲法]]が制定され、7月17日に公布される
;1948年 - 1960年:[[第一共和国 (大韓民国)|第一共和国期]]
:1948年8月15日:[[第二次世界大戦]]後の[[米中冷戦|米ソ冷戦]]の中、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の支援により大韓民国が[[建国]]、9月9日に[[ソビエト連邦|ソ連]]の支援により[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)が建国される
:1948年:[[済州島4・3事件]]継続。
:1948年:[[麗水・順天事件]]。
:1953年2月4日:[[第一大邦丸事件]]。[[大韓民国海軍|韓国海軍]]が日本漁船を銃撃後、民間人を[[虐待]]・殺害。
:1953年7月27日:[[朝鮮戦争休戦協定]]。[[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]と中朝連合軍間で署名。終戦でなく[[停戦]]であり、名目上は現在も戦時中。
:1953年10月1日:[[米韓相互防衛条約]]。[[米韓同盟]]ばれる
:1954年:[[沿岸警備隊|韓国沿岸警備隊]]竹島派遣公表<ref name="moftakesenkyo"/>。
:1955年8月18日:[[日朝関係史|日本との経済関係断絶]]<ref>{{Cite web|author=[[聯合ニュース]]|date=2012-08-18
:1960年4月27日:[[四月革命 (韓国)|四月革命]]によって[[李承晩]]初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
;1960年 - 1961年:[[第二共和国 (大韓民国)|第二共和国期]]
:[[朴正煕]]少将による[[5・16軍事クーデター]]によって[[国家再建最高会議]]が設置される
;1961年 - 1963年:[[国家再建最高会議]]([[軍事政権|軍政]])期
:朴正煕が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
;1963年 - 1972年:[[第三共和国 (大韓民国)|第三共和国期]]
:1964年 - 1973年:[[ベトナム戦争#韓国軍の参戦|ベトナムに出兵]]。[[大韓民国国軍|韓国軍]]による[[ベトナム]]人に対する[[虐殺|大虐殺]]・[[慰安婦]]・[[ライダイハン]]問題が生じる。虐殺現場100か所以上、犠牲者数最大3万人との調査結果もあり、[[強姦]]・[[売春婦]]強制[[妊娠]]の犠牲者は最小1500人から最大3万人推定されている<ref>{{Cite web|url=https://www.news-postseven.com/archives/20190630_1400333.html|title=韓国軍の蛮行伝える「ライダイハン像」 文政権はどう応える|accessdate=20190902|publisher=}}</ref>。
:1952年 - 1965年:韓国による日本漁船拿捕328隻、日本人漁民抑留3929人、死傷44人(1968年の『日韓漁業対策運動史』より)。抑留者は大虐待を強いられる。[[海上保安庁]][[巡視船]]に向けた銃撃等の事件は15件で、16隻が攻撃された
:1965年1月:[[竹島密約]]。
:1965年6月22日:[[日韓基本条約]]締結。同日「[[日韓請求権並びに経済協力協定]]」「[[朝鮮半島から流出した文化財の返還問題#文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定|文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定]]」なども結ばれる。これらにより、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決(韓国の対日請求権放棄含む)、日韓関係正常化などで合意。日本は韓国に対し無償3億ドル、有償2億ドル、および民間[[融資]]3億ドル以上、計約11億ドルの経済協力支援を行った(当時1ドル=約360円)<ref>{{Cite book|title=文京洙『韓国現代史』|date=|year=|publisher=岩波新書}}</ref>。
;1972年 - 1979年:[[第四共和国 (大韓民国)|第四共和国期]]
:1973年8月8日:[[大韓民国中央情報部]](KCIA)によって[[日本]]国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、[[金大中事件|金大中を拉致する事件]]が発生し、この日本国への[[主権]]侵害によって日韓関係は悪化する。
:1974年8月15日:[[朴正煕]]大統領の[[陸英修]]夫人が[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]の[[文世光]]によって[[暗殺]]される[[文世光事件]]が発生する
:1976年8月18日:[[ポプラ事件]]。
:1970年代:[[コリアゲート]]事件発覚。
[[File:Korean Peninsula at night - 2012 - NASA.png|thumb|upright|[[NASA]]からの2012年における夜間の朝鮮半島の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。]]
[[ファイル:South Korea Topography.png|thumb|大韓民国の地形図]]
大韓民国は[[朝鮮半島]]全域を領土と主張し、そのうちの南北[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮政府によって実効統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「{{読み仮名|'''北韓'''|ほっかん}}」<ref>{{読み仮名|'''{{lang|ko-Hani|북한}}'''|プッカン}}</ref> が用いられている。
 
西には[[黄海]]、東には[[日本海]]に面し、[[大韓海峡]]([[対馬海峡]]の西水道)を隔てて[[釜山広域市|釜山]]と[[対馬]]とは約50キロメートルの距離である。全国土面積は10万0339km<sup>2</sup>(2017年基準、干拓事業による領土拡張)で、これは[[日本]]の総面積37万7961km<sup>2</sup>のほぼ4分の1(26%)にあたり、[[北海道|北海道本島]]の面積7万7984km<sup>2</sup>の1.26倍に相当する。国土は[[古期造山帯]]が支配的である。
[[地震]]は[[九州]]など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に[[マンション|高層マンション]]が建設可能であり、[[住宅|戸建]]より人気がある。[[活火山]]もまったく存在しない([[済州島]]、[[鬱陵島]]は[[火山島]]だが活動していない)が、少数の[[温泉]]はある。
 
日韓間には、[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名:独島)領有問題が存在するほか、[[1990年代]]以降、日本海(韓国名:東海)国際的な呼称をめぐって日本国政府政府が対立するなど、いくつかの問題がある(参考:[[日本海呼称問題]]、[[李承晩ライン]])。
 
1948年8月の建国以降も、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]の[[植林]]政策を受け継ぎ森林の造成を行い、[[1970年代]]以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている<ref>[[中央日報]] [http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=131972&servcode=400%A1%F8code=400 40年間で100億本の木を植えた韓国に世界が賛辞]</ref><ref>「韓国の林政史を通して見た「森林資源の造成と利用」について」金錫権(「里山-文化としての自然」2008年12月13日龍谷大学)[http://satoyama-orc.ryukoku.ac.jp/report/report_2008/pdf/1_1.pdf undefined] PDF-P.37</ref>。