「アルバロ・マンリケ・デ・スニガ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
16世紀スペインの貴族で第7代ヌエバ・エスパーニャ副王の伝記。
 
8行目:
 
=== ヌエバ・エスパーニャ副王 ===
1583年に[[ペルー副王]][[マルティン・エンリケス・デ・アルマンサ]](第4代ヌエバ・エスパーニャ副王でもあった)第5代ヌエバ・エスパーニャ副王{{仮リンク|ロレンソ・スアレス・デ・メンドーサ|en|Lorenzo Suárez de Mendoza, 5th Count of Coruña}}がともに死亡し、国王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]は後任の副王を任命する必要が生じた{{r|dbe}}。マンリケ・デ・スニガはヌエバ・エスパーニャ副王に選ばれ、1585年11月18日に[[メキシコシティ]]入りした{{r|dbe}}。
 
マンリケ・デ・スニガの副王としての仕事は多くの抵抗にあった。彼はメキシコ大司教で[[異端審問官]]、監察者を兼ね、さらに前副王の没後は臨時の副王でもあった[[ペドロ・モヤ・デ・コントレラス]]と対立した{{r|dbe}}。
 
54代副王[[マルティン・エンリケス・デ・アルマンサ]]の時代に王命によって修道会に属さない教区司祭を任命しようとしたが果たさなかった。マンリケ・デ・スニガはこの王命を実行しようとしたが、修道会側がスペイン王や[[インディアス枢機会議]]に訴えたために取りやめになった{{r|nub}}。
 
北方の[[チチメカ]]との戦争は長く続いていたが、[[軍事刑務所]]を廃止して先住民の奴隷化を止めさせたことは戦争の終結に効果を上げた{{r|dbe}}。副王は先住民の労働環境を改善させた{{r|dbe}}。