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'''倪 文俊'''(げい ぶんしゅん、生年不詳 - [[1357年]])は、[[元 (王朝)|元]]末の農民反乱の指導者。号は'''蛮子'''。[[ベン州 (湖北省)|復州]][[仙桃市|玉沙県]]の出身。
 
== 生涯 ==
成人後に[[黄陂区|黄陂県]]に移住し農業に従事していた。[[1351年]]([[至正]]11年)、[[徐寿輝]]が湖北で紅巾軍を率いた蜂起に参加し元帥に任じられる。その後徐寿輝は天完国を建国、倪文俊は太尉に封じられた。[[1355年]](至正15年)には元の水軍を[[漢川県|漢川]]で打ち破った。[[1356年]](至正16年)春、倪文俊は[[仙桃市|沔陽]]を攻撃、[[陳友諒]]が倪文俊に投降している。[[1357年]](至正17年)秋、政権内紛の結果倪文俊が徐寿輝殺害を計画するが失敗、[[黄岡市州 (古代)|黄州]]に逃れたところを、配下となっていた陳友諒に殺害された。
 
== 関連項目 ==
*[[紅巾の乱]]
*[[白蓮教]]