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; 近代陸上競技としての走高跳の黎明
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された<ref name="iaaf"/>。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}<ref name="岡尾惠市3">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190319/ |title=陸上競技のルーツをさぐる30 走高跳の歴史<そのIII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-12 |date=2019-03-19 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった<ref name="岡尾惠市3"/>。助走路の制約や着地の安全性の観点より{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}、「バー正面から助走するはさみ跳び(正面跳び)」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}{{refnest|group="注"|「(後の)1874年にウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が初めて使用した」<ref name="iaaf"/>、「着地地点に砂場が出現した後にはさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}
「正面を向いたままで走り幅跳びの様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>、「正面を向いたままでハードルを飛び越える様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>といった様々な方法が取られていた{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。1864年の第1回オックスフォード対ケンブリッジ大学対抗戦では1.66mの記録が残っている<ref name="岡尾惠市2"/>。その後、イギリスにおいては、1875年には{{仮リンク|AAC|en|Amateur Athletic Club}}選手権で{{仮リンク|マイケル・ジョージ・グレイズ​ブルック|en|Michael George Glazebrook}}が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。
 
; アメリカでの跳躍法の改良
走高跳がアメリカに伝わると、1868年には初の正式な競技会がアメリカで開催された(記録は1.67m){{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり<ref name="岡尾惠市3"/>、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>と、「砂場になり、はさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、また、{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}がさらに改良し「イースタン・カットオフ」を編み出した<ref name="iaaf"/>。「イースタン・カットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二"/>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり<ref name="苅部俊二"/>、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。「イースタン・カットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。
 
また、1896年のアテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカの[[エラリー・クラーク]]が181cmで金メダルを獲得した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。
 
20世紀に入ると、[[ジョージ・ホーリン]]が「斜めから助走し、バーに近い脚で踏み切り、体は横向きに回転して、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「ウエスタン・ロール」を開発した<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|pages=9-10}}{{refnest|group="注"|背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。}}。「ウエスタン・ロール」に対しては「ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」と規制が強化されることになった<ref name="岡尾惠市3"/>。「ウエスタン・ロール」によって、1912年には[[ジョージ・ホーリン]]が2.00mを、1937年には{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}が2.09mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。「ウエスタン・ロール」は1936年のベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。
 
<ref name="岡尾惠市4">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190326/ |title=陸上競技のルーツをさぐる31 走高跳の歴史<そのIV> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-13 |date=2019-03-26 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>
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また、1896年のアテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカの[[エラリー・クラーク]]が181cmで金メダルを獲得した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。
 
 
20世紀に入ると、[[ジョージ・ホーリン]]が「斜めから助走し、バーに近い脚で踏み切り、体は横向きに回転して、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「ウエスタン・ロール」を開発した<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|pages=9-10}}{{refnest|group="注"|背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。}}。「ウエスタン・ロール」に対しては「ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」と規制が強化されることになった<ref name="岡尾惠市3"/>。「ウエスタン・ロール」によって、1912年には[[ジョージ・ホーリン]]が2.00mを、1937年には{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}が2.09mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。「ウエスタン・ロール」は1936年のベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。
 
 
 
 
 
 
 
 
; ベリー・ロールの登場
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|1880年7月5日||1.90m||パトリック・ダヴァン(Patrick Davin)||{{GBR}}||
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|1887年8月15日||1.91m||ウィリアム・バード・ペジ(William Byrd Page)||{{USA}}||
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|1887年10月7日||1.93m||ウィリアム・バード・ペジ||{{USA}}||
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|1892年10月8日||1.935m||{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}||{{USA}}||イースタン・カットオフ{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}