「大威徳明王」の版間の差分

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== 概説 ==
[[ファイル:Daiitoku myoo painting.jpg|thumb|200px|大威徳明王像(13世紀、[[ボストン美術館]]所蔵)]]
梵名のヤマーンタカとは『[[閻魔|死神ヤマ]]をも降す者』の意味で、降閻魔尊ともよばれる。また'''ヴァジュラバイラヴァ'''({{IAST|vajrabhairava}} 、金剛怖畏)、'''ヤマーリ'''({{IAST|yamāri}} 『[[閻魔|死神ヤマ]]の敵』)<ref group="注">ただし、他と姿形が異なり、格も落ちる。</ref>、'''マヒシャサンヴァラ''' ({{IAST|mahișasaṃvara}} 『[[水牛]]を押し止める者』)ともいう。
 
このヴァジュラバイラヴァのバイラヴァとは、[[インド神話]]の[[主神]]の一柱である[[シヴァ神]]の最も強暴な面「バイラヴァ」のことである。また、マヒシャサンヴァラのマヒシャ([[マヒシャースラ]])とは、[[インド神話]]で女神[[ドゥルガー]]と戦った水牛の姿の[[アスラ]]神族の王のことである。
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ヴァジュラバイラヴァの法は、ゲルク派・[[カギュ派]]の本初仏であるヴァジュラダラ([[持金剛仏]])によって説かれたという。まず、ジュニャーナ・[[荼吉尼天|ダーキニー]]に伝えられ、ウッディヤーナという密教の理想郷といわれる地に保存された。ある時、長年、文殊菩薩を信仰していた、[[ナーランダ]]寺院の学僧ラリタヴァジュラが、その法を[[成就]]した。そして、文殊菩薩の啓示を受けたラリタヴァジュラは、ウッディヤーナへ赴き、当地の試練を受けた末、ヴァジュラバイラヴァの妃であるヴァジュラヴェーターリー({{IAST|Vajravetālī}})の恩恵を得て、ヴァジュラバイラヴァの法の[[灌頂]]を受け、聖典を守るダーキニーから「7日間の間に記憶できたものを人間界に伝えること」を許された。そこで、ラリタヴァジュラは、文殊菩薩の助力を得て記憶できるだけのものを脳裏に刻みつけ、7日後に、今日に伝わる形での『ヴァジュラバイラヴァタントラ』といった、ヤマーンタカ系の[[タントラ]]、[[儀軌]]などのテキストを人間界に伝えることができたという。
 
そうして、人間界に齎されたヴァジュラバイラヴァの法は、その後、[[不空金剛|アモーガヴァジュラ]]、パドマヴァジュラ、そして、[[ネパール]]の密教行者バローへと伝わり、バローからチベットのラ訳経官ドルジェタクの手に伝えられると、彼の手でヴァジュラバイラヴァの法はチベットの地において普及されるようになった。年月が経ち、ヴァジュラバイラヴァを守護尊とするツォンカパが現れ、彼のひらいたゲルク派がチベット最大宗派となり、現在に至る。<ref group="注">バローやドルジェタクが行っていたという強力なヴァジュラバイラヴァの行法は、記録が失われ、完全な形では残っていない。</ref>
 
=== 姿形 ===
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==== ヤマーンタカ=ヴァジュラバイラヴァ ====
[[Image:Yamantaka Vajrabhairav.jpg|thumb|200px|ヤマーンタカ。大英博物館所蔵]]
ヤマーンタカ、ヴァジュラバイラヴァは、おもに、青黒肌で水牛の忿怒相を中心とする九面、三十四臂、十六足の多面多臂多脚で、手にカルトリ刀、頭蓋骨杯、[[梵天]]の首、串刺しの人間を持つ淫欲相<ref group="注">[[陰茎]]を怒張させている。</ref>の悍ましい姿であらわされる。また、妃ヴァジュラヴェーターリーを抱く[[ヤブユム]]尊もある。敵対者の呪殺や、寿命の延長など様々な分野で非常に強力な霊験があるという。なお、通常夜叉明王は仏教に帰依した際は角が取れているのだが、ヤマーンタカはスイギュウの角がそのまま残されている。
 
===== 説話 =====
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ネパールの密教者バローはヴァジュラバイラヴァの法を「ありとあらゆるタントラのなかでも、精髄中の精髄で、他の[[真言]]に比べ一三の要諦で圧倒的に深く優れ、[[外道]]を[[調伏]]し[[成仏]]させる法である」と、評している。
 
ヴァジュラバイラヴァの行法を駆使した呪術師として最も有名なのは、バローの弟子、ラ訳経官ドルジェタク({{unicodeラテン翻字|bo|rwa lo tsā ba rdo rje grags}}、ラ・ロツァワ・ドルジェタク)である。
 
彼が行った行法とは、まず、自身を主尊ヴァジュラバイラヴァと[[同化]]させ一体化したと[[観想]]する。次に、明妃ドルジェ・ロ・ラン・マと一体となったパートナーと[[性的ヨーガ]]を実践し、宇宙にあまねくありとあらゆる[[如来]]・[[菩薩]]たちを口の中から心臓へ取り込む。そして、それを体外へ放出し、五つの門のヴァジュラバイラヴァマンダラを構成する。これを繰り返し、最終的には、ドルジェタク自身が完全にヴァジュラバイラヴァそのものであると体得し、単身で瞬時にヴァジュラバイラヴァ(淫欲相)へと変化するというものだった。
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ドルジェタクが最初に対峙した密教行者は、誇り高い密教呪術の名門家出身で、[[サキャ派]]の祖コンチョク・ギェルポの父コン・サキャ・ロドだった。コンは、名門としての自負心から、素性のしれない同業者のドルジェタクを忌み嫌い、呪殺を図った。
 
コンは、二八人のイーシュヴァリー(自在母)<ref group="注">バルド・ト・ドル・チェンモ([[チベット死者の書]])</ref>を顕現させ、ドルジェタクへと嗾(けしか)けたという。ドルジェタクは、これを、ヴァジュラバイラヴァの行法で自身を同化させ迎えうった。ヴァジュラドルジェタクが、真言を唱え印を結ぶと、自在母たちは動きを封じられ、苦痛に身をよじらせた。そして、ヴァジュラドルジェタクが「私に従わないのなら、即刻焼き殺す」と脅すと、自在母たちは震え上がり配下に加わったという。
 
これに、腹を立てたコンは、聞くに堪えないくらい口汚くドルジェタクを罵った。誹謗中傷を無視し続けていたドルジェタク、そこへ、[[観音菩薩]]が顕現しコンを度脱せよと[[託宣]]をうける。この言葉を、重く受け止めたドルジェタクは、それに従いコンを度脱した。ほどなくしてコンは死去した。
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== 脚注 ==
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===注釈===
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===出典===
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===注釈===
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== 参考文献 ==