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[[ファイル:Yelena Slesarenko failing 2007.jpg|thumb|300px|right|[[2004年アテネオリンピックの陸上競技|アテネオリンピック]] の[[金メダル|金メダリスト]]、[[エレーナ・スレサレンコ]]による[[背面跳び]] ]]
 
'''走高跳'''(走り高跳び、はしりたかとび、英語: High Jump)は、[[陸上競技]]の[[跳躍競技]]に属する種目で、助走をつけて片足で踏み切り、飛び越えるバーの高さを競う競技である。近代陸上競技としては19世紀の[[イギリス]]で始まった。「[[はさみ跳び]]」「[[ベリーロール]]」「[[背面跳び]]」などの跳躍方法があり、現在では「背面跳び」が主流となっている。2021年現在の世界記録は、男子は1993年の[[ハビエル・ソトマヨル]]による2.45m、女子は1987年の[[ステフカ・コスタディノヴァ]]による2.09mである。
 
== 歴史 ==
; 近代陸上競技以前の高跳び
古代ギリシャの競技会では高跳び競技は行われていなかった様である<ref name="iaaf">{{cite web |url=http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |title=High jump - Introduction |accessdate=2021-07-14 |website=oaaf.org Hme of World Athletics |publisher=International Association of Athletics Federations |lamguage=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121025120949/http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |archivedate=2012-10-25 }}</ref><ref name="苅部俊二">{{cite web |url=https://www.hamaspo.com/karube/bmid_2012101515193500004 |title=苅部俊二のダッシュ!!>vol.31「走高跳」 |author=苅部俊二 |accessdate=2021-07-08 |date=2012-10-20 |website=ハマスポ |publisher=横浜市スポーツ協会 }}</ref>{{refnest|group="注"|「当初は実施されていなかった」{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、「実施された形跡はほとんどない」<ref name="岡尾惠市1">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190305/ |title=陸上競技のルーツをさぐる28 走高跳の歴史<そのI> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-05 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、「実施されていた」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、とする資料もある。}}。一方、「垂直方向への跳躍能力」を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技はアジア・アフリカの先住民族などの世界各地で確認されており<ref name="岡尾惠市1"/>、またケルトの人々のあいだでは一般的に行われていた様である<ref name="iaaf"/>。
 
18世紀のドイツでは子供向けの体育教育の一環として高跳びが用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、また1834年発行の『英国男性の身体訓練』には軍事訓練の一つとして紹介されている<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市2">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190312/ |title=陸上競技のルーツをさぐる29 走高跳の歴史<そのII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-12 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>。この頃は「バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する」といった跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である<ref name="岡尾惠市2"/>。
 
; 近代陸上競技としての走高跳の黎明
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された<ref name="iaaf"/>。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}<ref name="岡尾惠市3">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190319/ |title=陸上競技のルーツをさぐる30 走高跳の歴史<そのIII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-12 |date=2019-03-19 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった<ref name="岡尾惠市3"/>。助走路の制約や着地の安全性の観点より{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}、「バー正面から助走するはさみ跳び(正面跳び)」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}{{refnest|group="注"|「(後の)1874年にウィリアム・バード・ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>、「着地地点に砂場が出現した後にはさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}
「正面を向いたままで走り幅跳びの様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>、「正面を向いたままでハードルを飛び越える様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>といった様々な方法が取られていた{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。1864年の第1回オックスフォード対ケンブリッジ大学対抗戦では1.66mの記録が残っている<ref name="岡尾惠市2"/>。その後、イギリスにおいては、1875年には{{仮リンク|AAC|en|Amateur Athletic Club}}選手権で{{仮リンク|マイケル・ジョージ・グレイズ​ブルック|en|Michael George Glazebrook}}が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。
 
; アメリカでの跳躍法の改良
走高跳がアメリカに伝わると、1868年には初の正式な競技会がアメリカで開催された(記録は1.67m){{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり<ref name="岡尾惠市3"/>、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>と、「砂場になり、はさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、また、{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}がさらに改良し「イースタン・カットオフ」を編み出した<ref name="iaaf"/>。「イースタン・カットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二"/>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり<ref name="苅部俊二"/>、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。「イースタン・カットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。
 
また、1896年のアテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカの[[エラリー・クラーク]]が1.81mで金メダルを獲得した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。
 
20世紀に入ると、[[ジョージ・ホーリン]]が「斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「ウエスタン・ロール」を開発した<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{refnest|group="注"|背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。}}。「ウエスタン・ロール」に対しては「ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」との規則が追加されることになった<ref name="岡尾惠市3"/>。「ウエスタン・ロール」によって、1912年には[[ジョージ・ホーリン]]が2.00mを、1937年には{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}が2.09mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。「ウエスタン・ロール」は1936年のベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。
 
; ベリー・ロールの登場
1933年には「頭の位置は腰より高く」との規則が、また1936年には「頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない」との規則がそれぞれ撤廃された<ref name="iaaf"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。この時期に[[デビッド・アルブリットン]]が「ウエスタン・ロールと同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す」といった新しい跳び方「ベリー・ロール」を編み出した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{refnest|group="注"|name="1919-1930"|「1919年頃までには登場したが、普及したのが1930年代」{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}とする資料もある。}}、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど<ref name="岡尾惠市4">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190326/ |title=陸上競技のルーツをさぐる31 走高跳の歴史<そのIV> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-13 |date=2019-03-26 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、この当時の最も効率的な跳び方として{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、主流の跳躍方法となった{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。
 
「ベリー・ロール」で、1956年には{{仮リンク|チャールズ・デュマ|en|Charles Dumas}}が2.15m、翌1957年にはソ連の{{仮リンク|ユーリー・ステパノフ|en|Yuri Stepanov (athlete)}}をが2.16mを記録したほか{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}{{refnest|group="注"|この当時は靴底の厚さについての規制が無く、最大5cmものの特注厚底靴が競技に使われていた。ステパノフのこの記録もこのような厚底靴を使用したもので、翌1958年には国際陸連により靴底の厚さが規制されるようになった。<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/disciplines/jumps/high-jump |title=High Jump |accessdate=2021-07-14 |publisher=World Athletics }}</ref>}}、1960年にはほぼすべての競技者が「ベリー・ロール」を使用する様になっていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による「ベリー・ロール」の技術改良{{refnest|group="注"|クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法で、「ソ連式ベリー・ロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。}}により、1963年には[[ワレリー・ブルメル]]が228cmまで記録を伸ばした{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}。
 
背面跳びの登場(1968年)後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1978年に{{仮リンク|ウラジミール・ヤシュチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}が出した室内記録2.35m{{sfn|Richard Hymans|2021|page=478}}、屋外での記録2.34mが{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}、「ベリー・ロール」での最後の世界記録となった<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/news/news/volodomir-yashchenko-the-last-king-of-the-str |title=Yashchenko, the last king of the straddle |accessdate=2021-07-11 |date=1999-12-01 |publisher=WORLD ATHLETICS |language=en }}</ref>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
 
; 背面跳びの登場
1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、「曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する」といった新しい跳躍方法「背面跳び」が[[ディック・フォスベリー]]により編み出された<ref name="iaaf"/><ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}。1968年のメキシコオリンピックで[[ディック・フォスベリー]]がこの跳び方で金メダルを獲得し(記録2.24m)<ref name="岡尾惠市4"/>、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。1970年代は「ベリー・ロール」と「背面跳び」は互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1980年代以降は「背面跳び」が世界で最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。2021年現在の世界記録は、1993年に[[ハビエル・ソトマヨル]]が「背面跳び」で出した2.45mである{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=177}}。
 
; 女子競技とパラリンピック
女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年のアムステルダム大会より正式種目となった<ref name="iaaf"/>。[[ヨランダ・バラシュ]]は「はさみ跳び」を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=59-60}}。「ベリー・ロール」では、1971年に[[イローナ・グーゼンバウアー]]が1.92mを記録、1977年には[[ローズマリー・アッカーマン]]は女子初の2.00mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。1978年に[[サラ・シメオニ]]が「背面跳び」で2.01mを記録、1987年には[[ステフカ・コスタディノヴァ]]が「背面跳び」で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。
 
パラリンピックでは、男女とも1976年のトロント大会より実施されるようになった<ref>{{cite kotobank |word=走高跳び |author=日本大百科全書(ニッポニカ) |accessdate=2021-07-11 }}</ref>。
 
== 跳躍方法 ==
[[File:EthelCatherwood1928.jpg|thumb|210px|[[1928年]][[アムステルダムオリンピック]]の金メダリスト、[[エセル・キャサーウッド]] による[[はさみ跳び]]]]
 
; はさみ跳び(英語:Scissors jump)
バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
1874年頃にはすでに用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}、 ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「はさみ跳びはページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>とする資料もある。}}。
バー正面からの直線助走で行う「はさみ跳び」は日本においては「正面跳び」と呼ばれた<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
 
; イースタン・カットオフ(英語:Eastern Cut-off)
バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二"/>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}。19世紀後半に{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}が編み出した<ref name="iaaf"/>。日本では「正面跳び」と呼ばれた<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市3"/>。
 
; ウエスタン・ロール(英語:Western Roll)
斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。20世紀初頭に[[ジョージ・ホーリン]]が開発したとされる{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー(Roll Over)」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。
 
; ベリー・ロール(英語:Belly Roll、別名:ステラドル Straddle)
ウエスタン・ロールと同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1930年代に[[デビッド・アルブリットン]]が編み出したとされる<ref name="苅部俊二"/>{{refnest|group="注"|name="1919-1930"}}。1950年代になるとソ連の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、「ソ連式ベリー・ロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。
 
; 背面跳び(英語:Fosbury Flop)
バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。[[ディック・フォスベリー]]が考案し<ref name="苅部俊二"/>、1968年メキシコオリンピックで金メダルを獲得し、世に広まった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。現在、最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
 
== ルール ==
; シューズ
* 靴底の[[スパイクシューズ|スパイク]]は長さ12㎜以内のものが11本まで取り付け可能で、靴底の厚さは20㎜以内のものが使用できる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|pages=133-135,138}}。
; マーカー
* 助走の目安となるマーカー(目印)を2個まで置くことができる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=220}}。
* 主催者側がマーカーを用意していない場合は、選手側が用意した[[粘着テープ]]などを使うことができるが、[[チョーク]]やその類似品、消えないマーカーは使用できない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=220}}。
; 試技時間
* 試技開始の合図があってから、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は3分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が同一の高さを連続して試技を行う場合は2分以内に、試技を行わなければならない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=226}}。
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# 上記1が同一の場合、試技全体(最後に超えた高さおよびそれまでの高さまでを含めた試技数の全体)のうち、無効試技数の少ない方。{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=232}}
* なおそれでも1位が決定しなかった場合は当事者どうしの決戦試技(ジャンプオフ)がおこなわれる。2位以下の場合は同順位となる。{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|pages=232-234}}
 
== 跳躍方法 ==
[[File:EthelCatherwood1928.jpg|thumb|210px|[[1928年アムステルダムオリンピック]]の金メダリスト、[[エセル・キャサーウッド]] による[[はさみ跳び]]]]
 
; はさみ跳び(英語:Scissors jump)
{{関連記事|はさみ跳び|:en:Scissors jump}}
バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
1874年頃にはすでに用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}、 ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「はさみ跳びはページが初めて使用した」<ref name="iaaf">{{cite web |url=http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |title=High jump - Introduction |accessdate=2021-07-14 |website=oaaf.org Hme of World Athletics |publisher=International Association of Athletics Federations |lamguage=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121025120949/http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |archivedate=2012-10-25 }}</ref>とする資料もある。}}。
バー正面からの直線助走で行う「はさみ跳び」は日本においては「[[正面跳び]]」と呼ばれた<ref name="岡尾惠市3">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190319/ |title=陸上競技のルーツをさぐる30 走高跳の歴史<そのIII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-12 |date=2019-03-19 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
 
; イースタンカットオフ(英語:Eastern Cut-off)
{{関連記事|:en:Eastern cut-off}}
バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二">{{cite web |url=https://www.hamaspo.com/karube/bmid_2012101515193500004 |title=苅部俊二のダッシュ!!>vol.31「走高跳」 |author=苅部俊二 |accessdate=2021-07-08 |date=2012-10-20 |website=ハマスポ |publisher=横浜市スポーツ協会 }}</ref>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}。19世紀後半に{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}が編み出した<ref name="iaaf"/>。日本では「正面跳び」と呼ばれた<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市3"/>。
 
; ウエスタンロール(英語:Western Roll)
{{関連記事|:en:Western roll}}
斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。20世紀初頭に[[ジョージ・ホーリン]]が開発したとされる{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。背が下向きとなるバリエーションは「ロールオーバー(Roll Over)」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。
 
; ベリーロール(英語:Belly Roll、別名:ステラドル Straddle)
{{関連記事|ベリーロール|:en:Straddle technique}}
{{仮リンク|ウエスタンロール|en|Western roll}}と同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1930年代に[[デビッド・アルブリットン]]が編み出したとされる<ref name="苅部俊二"/>{{refnest|group="注"|name="1919-1930"}}。1950年代になると[[ソ連]]の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。
 
; 背面跳び(英語:Fosbury Flop)
{{関連記事|背面跳び|:en:Fosbury Flop}}
バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。[[ディック・フォスベリー]]が考案し<ref name="苅部俊二"/>、[[1968年メキシコシティーオリンピック]]で[[金メダル]]を獲得し、世に広まった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。現在、最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
 
== 歴史 ==
; 近代陸上競技以前の高跳び
[[古代オリンピック|古代ギリシャの競技会]]では高跳び競技は行われていなかった様である<ref name="iaaf"/><ref name="苅部俊二"/>{{refnest|group="注"|「当初は実施されていなかった」{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、「実施された形跡はほとんどない」<ref name="岡尾惠市1">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190305/ |title=陸上競技のルーツをさぐる28 走高跳の歴史<そのI> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-05 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、「実施されていた」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、とする資料もある。}}。一方、「垂直方向への跳躍能力」を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技は[[アジア]]・[[アフリカ]]の[[先住民族]]などの世界各地で確認されており<ref name="岡尾惠市1"/>、また[[ケルト人|ケルトの人々]]のあいだでは一般的に行われていた様である<ref name="iaaf"/>。
 
18世紀の[[ドイツ]]では子供向けの[[体育]]教育の一環として高跳びが用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、また1834年発行の『英国男性の身体訓練』には[[軍事訓練]]の一つとして紹介されている<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市2">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190312/ |title=陸上競技のルーツをさぐる29 走高跳の歴史<そのII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-12 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>。この頃は「バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する」といった跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である<ref name="岡尾惠市2"/>。
 
; 近代陸上競技としての走高跳の黎明
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された<ref name="iaaf"/>。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}<ref name="岡尾惠市3"/>、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった<ref name="岡尾惠市3"/>。助走路の制約や着地の安全性の観点より{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}、「バー正面から助走する[[はさみ跳び]]([[正面跳び]])」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}{{refnest|group="注"|「(後の)1874年にウィリアム・バード・ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>、「着地地点に砂場が出現した後にはさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、「正面を向いたままで[[走り幅跳び]]の様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>、「正面を向いたままで[[ハードル]]を飛び越える様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>といった様々な方法が取られていた{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。1864年の第1回[[オックスフォード大学|オックスフォード]]対[[ケンブリッジ大学|ケンブリッジ]]大学対抗戦では1.66mの記録が残っている<ref name="岡尾惠市2"/>。その後、イギリスにおいては、1875年にはAAC選手権で{{仮リンク|マイケル・ジョージ・グレイズ​ブルック|en|Michael George Glazebrook}}が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。
 
; アメリカでの跳躍法の改良
走高跳が[[アメリカ]]に伝わると、1868年には初の正式な競技会が開催された(記録は1.67m){{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり<ref name="岡尾惠市3"/>、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>と、「砂場になり、はさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、また、{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}がさらに改良し「{{仮リンク|イースタンカットオフ|en|Eastern cut-off}}」を編み出した<ref name="iaaf"/>。「イースタンカットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二"/>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり<ref name="苅部俊二"/>、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。「イースタンカットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。
 
また、[[1896年アテネオリンピック]]でオリンピック競技に初めて採用され、アメリカの[[エラリー・クラーク]]が1.81mで金メダルを獲得した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。
 
20世紀に入ると、[[ジョージ・ホーリン]]が「斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「{{仮リンク|ウエスタンロール|en|Western roll}}」を開発した<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{refnest|group="注"|背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。}}。「ウエスタンロール」に対しては「[[飛込競技|ダイビング]]の様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」との規則が追加されることになった<ref name="岡尾惠市3"/>。「ウエスタンロール」によって、1912年にはジョージ・ホーリンが2.00mを、1937年には{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}が2.09mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。「ウエスタンロール」は[[1936年ベルリンオリンピック]]頃までは主流の跳び方であった{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。
 
; ベリーロールの登場
1933年には「頭の位置は腰より高く」との規則が、また1936年には「頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない」との規則がそれぞれ撤廃された<ref name="iaaf"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。この時期に[[デビッド・アルブリットン]]が「ウエスタンロール」と同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す」といった新しい跳び方「[[ベリーロール]]」を編み出した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{refnest|group="注"|name="1919-1930"|「1919年頃までには登場したが、普及したのが1930年代」{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}とする資料もある。}}、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど<ref name="岡尾惠市4">{{cite web |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190326/ |title=陸上競技のルーツをさぐる31 走高跳の歴史<そのIV> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-13 |date=2019-03-26 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、この当時の最も効率的な跳び方として{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、主流の跳躍方法となった{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。
 
「ベリーロール」で、1956年には{{仮リンク|チャールズ・デュマ|en|Charles Dumas}}が2.15m、翌1957年にはソ連の{{仮リンク|ユーリー・ステパノフ|en|Yuri Stepanov (athlete)}}をが2.16mを記録したほか{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}{{refnest|group="注"|この当時は靴底の厚さについての規制が無く、最大5cmものの特注厚底靴が競技に使われていた。ステパノフのこの記録もこのような厚底靴を使用したもので、翌1958年には[[国際陸連]]により靴底の厚さが規制されるようになった。<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/disciplines/jumps/high-jump |title=High Jump |accessdate=2021-07-14 |publisher=World Athletics }}</ref>}}、1960年にはほぼすべての競技者が「ベリーロール」を使用する様になっていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による「ベリーロール」の技術改良{{refnest|group="注"|クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法で、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。}}により、1963年には[[ワレリー・ブルメル]]が228cmまで記録を伸ばした{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}。
 
[[背面跳び]]の登場(1968年)後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1978年に{{仮リンク|ウラジミール・ヤシュチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}が出した室内記録2.35m{{sfn|Richard Hymans|2021|page=478}}、屋外での記録2.34mが{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}、「ベリーロール」での最後の世界記録となった<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/news/news/volodomir-yashchenko-the-last-king-of-the-str |title=Yashchenko, the last king of the straddle |accessdate=2021-07-11 |date=1999-12-01 |publisher=WORLD ATHLETICS |language=en }}</ref>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
 
; 背面跳びの登場
1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、「曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する」といった新しい跳躍方法「背面跳び」が[[ディック・フォスベリー]]により編み出された<ref name="iaaf"/><ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}。[[1968年メキシコシティーオリンピック]]でディック・フォスベリーがこの跳び方で金メダルを獲得し(記録2.24m)<ref name="岡尾惠市4"/>、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。1970年代は「ベリーロール」と「背面跳び」は互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1980年代以降は「背面跳び」が世界で最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。2021年現在の世界記録は、1993年に[[ハビエル・ソトマヨル]]が「背面跳び」で出した2.45mである{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=177}}。
 
; 女子競技とパラリンピック
女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年の[[1928年アムステルダムオリンピック|アムステルダム大会]]より正式種目となった<ref name="iaaf"/>。[[ヨランダ・バラシュ]]は「はさみ跳び」を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=59-60}}。「ベリーロール」では、1971年に[[イローナ・グーゼンバウアー]]が1.92mを記録、1977年には[[ローズマリー・アッカーマン]]は女子初の2.00mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。1978年に[[サラ・シメオニ]]が「背面跳び」で2.01mを記録、1987年には[[ステフカ・コスタディノヴァ]]が「背面跳び」で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。
 
[[パラリンピック]]では、男女とも1976年の[[1976年トロントパラリンピック|トロント大会]]より実施されるようになった<ref>{{cite kotobank |word=走高跳び |author=日本大百科全書(ニッポニカ) |accessdate=2021-07-11 }}</ref>。
 
== 記録 ==
119 ⟶ 123行目:
|1887年10月7日||1.93m||ウィリアム・バード・ページ||{{USA}}||
|-
|1892年10月8日||1.935m||{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}||{{USA}}||イースタンカットオフ{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}
|-
|1895年8月19日||1.945m||ジェームズ・ライアン(James Ryan)||{{GBR}}||
127 ⟶ 131行目:
|1895年9月2日||1.965m||マイケル・スウィーニー||{{USA}}||
|-
|1895年9月21日||1.97m||マイケル・スウィーニー||{{USA}}||イースタンカットオフ<ref name="苅部俊二"/>
|-
|1912年3月29日||1.985m||[[ジョージ・ホーリン]]||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1912年5月18日||2.00m||ジョージ・ホーリン||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1914年5月2日||2.01m||{{仮リンク|エドワード・ビーソン|fr|Edward Beeson}}||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1924年5月27日||2.03m||[[ハロルド・オズボーン]]||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1933年5月13日||2.04m||{{仮リンク|ウォルター・マーティ|en|Walter Marty}}||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1934年4月28日||2.06m||ウォルター・マーティ||{{USA}}||
|-
|1936年7月12日||2.07m||[[コーネリアス・ジョンソン]]||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1936年7月12日||2.07m||[[デビッド・アルブリットン]]||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1937年8月12日||2.09m||{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1941年4月26日||2.10m||{{仮リンク|レスター・スティアーズ|en|Les Steers}}||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1941年5月24日||2.105m||レスター・スティアーズ||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1941年6月17日||2.11m||レスター・スティアーズ||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1953年6月27日||2.12m||{{仮リンク|ウォルト・デイビス|en|Walt Davis}}||{{USA}}||ウスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1956年6月29日||2.15m||{{仮リンク|チャールズ・デュマ|en|Charles Dumas}}||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1957年7月13日||2.16m||{{仮リンク|ユーリー・ステパノフ|en|Yuri Stepanov (athlete)}}||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1960年4月30日||2.17m||[[ジョン・トーマス (陸上選手)|ジョン・トーマス]]||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1960年6月24日||2.18m||ジョン・トーマス||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1960年7月1日||2.22m||ジョン・トーマス||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1961年6月18日||2.23m||[[ワレリー・ブルメル]]||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1961年7月16日||2.24m||ワレリー・ブルメル||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1961年8月31日||2.25m||ワレリー・ブルメル||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1962年7月22日||2.26m||ワレリー・ブルメル||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1962年9月29日||2.27m||ワレリー・ブルメル||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1963年7月21日||2.28m||ワレリー・ブルメル||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1970年11月8日||2.29m||{{仮リンク|倪志欽|zh|倪志欽}}||{{CHN}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=175}}
|-
|1973年7月11日||2.30m||[[ドワイト・ストーンズ]]||{{USA}}||背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
185 ⟶ 189行目:
|1976年8月4日||2.32m||ドワイト・ストーンズ||{{USA}}||背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1977年7月3日||2.33m||{{仮リンク|ウラジミール・ヤシチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1978年6月16日||2.34m||ウラジミール・ヤシチェンコ||{{URS}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1980年5月25日||2.35m||[[ヤチェク・ウショラ]]||{{POL}}||背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
262 ⟶ 266行目:
|1943年5月30日||1.71m||[[フランシナ・ブランカース=クン]]||{{HOL}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1951年7月7日||1.72m||[[シーラ・レーウィル]]||{{GBR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1954年5月22日||1.73m||[[アレクサンドラ・チュジナ]]||{{URS}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年5月5日||1.74m||{{仮リンク|セルマ・ホプキンス|en|Thelma Hopkins (athlete)}}||{{GBR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年7月14日||1.75m||[[ヨランダ・バラシュ]]||{{ROM}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年12月1日||1.76m||[[ミルドレッド・マクダニエル]]||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1957年11月17日||1.77m||{{仮リンク|鄭鳳栄|en|Zheng Fengrong}}||{{CHN}}||イースタンカットオフ{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1958年6月7日||1.78m||ヨランダ・バラシュ||{{ROM}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
298 ⟶ 302行目:
|1961年7月16日||1.91m||ヨランダ・バラシュ||{{ROM}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1971年9月4日||1.92m||[[イローナ・グーゼンバウアー]]||{{AUT}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1972年9月24日||1.94m||[[ヨルダンカ・ブラゴエワ]]||{{BUL}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1974年9月8日||1.95m||[[ローズマリー・アッカーマン|ローズマリー・ヴィチャス]]||{{GDR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1976年5月8日||1.96m||[[ローズマリー・アッカーマン]](旧姓:ヴィチャス)||{{GDR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1977年8月14日||1.97m||ローズマリー・アッカーマン||{{GDR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1977年8月26日||2.00m||ローズマリー・アッカーマン||{{GDR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1978年8月4日||2.01m||[[サラ・シメオニ]]||{{ITA}}||背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
640 ⟶ 644行目:
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |autho=日本陸上競技連盟 |title=陸上競技ルールブック |edition=2021年度版(正誤表反映版) |date=2021-04-16 |publisher=[https://www.jaaf.or.jp/about/rule/ 日本陸上競技連盟] |isbn=978-4-583-11350-0 |url=https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/2021/all-rule_fix.pdf |format=PDF |accessdate=2021-07-18 |ref=harv }}
* {{Cite journal |和書 |author = Jürgen Schiffer |date = 2009-03 |title = The high jump Overview |journal = [https://www.worldathletics.org/news/news/iaaf-new-studies-in-athletics-current-issue-3-3 New Studies in Athletics] |volume = 24 |issue = 3 |pages = 9-22 |publisher = International Association of Athletics Federations |url = https://www.worldathletics.org/nsa/article/filter?&authorId=5461fcbf1111ff42acac6a07&articleTitle=The%20high%20jump&year=2009&volume=24&issue=3 |accessdate = 2021-07-15 |ref=harv }}
* {{citation |和書 |url=https://b3461dd9-e816-4209-a11e-8a7de4ec68f1.usrfiles.com/ugd/b3461d_d37cc5a23df8438ab2eb7304281243f0.pdf |title=走り高跳びの教科書 |author=真鍋周平 |edition=上巻 Ver.1.0.5 |accessdate=2021-07-08 |date=2020-05-05 |website=[https://highjumper.jimdofree.com/ 走り高跳びの教科書] |publisher=トヨタ自動車陸上競技部 |ref=harv }}
* {{Cite journal |和書 |author = 細谷真澄 |date = 1977-11-30 |title = 走高跳の技術についての一考察 |journal = 横浜国立大学教育紀要 |volume = 17 |pages = 89-98 |publisher = 横浜国立大学 |issn = 05135656 |url = http://hdl.handle.net/10131/2136 |accessdate = 2021-07-13 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |editor = Richard Hymans |title = Progression of World Athletics Records |edition = 2020年版 |date = 2021-04-16 |publisher = [https://www.worldathletics.org/news/news/progression-of-world-athletics-records-on-sal World Athletics] |language = en |url = https://media.aws.iaaf.org/misc/eBook/index.html |accessdate = 2021-07-14 |ref = harv }}
* {{Cite journal |和書 |author = Jürgen Schiffer |date = 2009-03 |title = The high jump Overview |journal = [https://www.worldathletics.org/news/news/iaaf-new-studies-in-athletics-current-issue-3-3 New Studies in Athletics] |volume = 24 |issue = 3 |pages = 9-22 |publisher = International Association of Athletics Federations |url = https://www.worldathletics.org/nsa/article/filter?&authorId=5461fcbf1111ff42acac6a07&articleTitle=The%20high%20jump&year=2009&volume=24&issue=3 |accessdate = 2021-07-15 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |autho=日本陸上競技連盟 |title=陸上競技ルールブック |edition=2021年度版(正誤表反映版) |date=2021-04-16 |publisher=[https://www.jaaf.or.jp/about/rule/ 日本陸上競技連盟] |isbn=978-4-583-11350-0 |url=https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/2021/all-rule_fix.pdf |format=PDF |accessdate=2021-07-18 |ref=harv }}
 
== 関連項目 ==