「トリオ・ソナタ集 作品1 (ヴィヴァルディ)」の版間の差分
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'''トリオ・ソナタ集 作品1'''(''Suonate da camera a trè, due violini e violone ò cembalo, Opera Prima'')は、[[アントニオ・ヴィヴァルディ]]作曲による最初の出版作品。[[1703年]]頃までに[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]の出版社[[ジュゼッペ・サーラ (出版社)|ジュゼッペ・サーラ]](Giuseppe Sala)から出版され、[[ブレシア]]出身の貴族アンニーバレ・ガンバラ伯爵(Annibale Gambara)へ献呈された。曲集はその後[[1705年]]にサーラ社から、[[1712年]]から[[1713年]]に[[アムステルダム]]の[[エティエンヌ・ロジェ]]社から、[[1715年]]に[[パリ]]のル・クレール社から再版された。
== 来歴 ==
作品1『トリオ・ソナタ集』はヴィヴァルディの最初の出版作品集で、父[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィヴァルディ]]と同じブレシア出身の小貴族アンニーバレ・ガンバラ伯爵に献呈されている<ref>『バロックの巨匠』p86</ref>。現存する楽譜は[[1705年]]出版のもののみで、表紙に記されたヴィヴァルディの称号が「[[ヴァイオリン]]の音楽家にしてヴェネト(ヴェネツィア共和国の陸上の領地のこと、この場合はブレシアを指す)の
== トリオ・ソナタ ==
[[トリオ・ソナタ]]は、その形式を[[アルカンジェロ・コレッリ]]によって確立されて以後権威化され、この形式を作曲することが作曲家の能力を示すものとなっていた。したがってコレッリ以後は、[[ジュゼッペ・トレッリ]]、[[アントニオ・カルダーラ]]、[[トマゾ・アルビノーニ]]といった作曲家が初作品集にこの「トリオ・ソナタ」を作曲しており、新人作曲家にとっての登竜門としての役割も担っていた<ref>『BBCミュージック・ガイド① ヴィヴァルディ』(上) p27</ref>。ヴィヴァルディが作品1にトリオ・ソナタを作曲した理由にもこれが背景として存在し、また曲集が再版されたことはヴィヴァルディがヴェネツィアの1人前の作曲家として認められたとを意味している<ref>『バロックの巨匠』p87</ref>。トリオ・ソナタの通奏低音の伴奏パートは、従来の解釈ではヴィオローネ(ないしチェロ)とチェンバロの両方を用いると解釈され<ref>{{Cite web|title=トリオ・ソナタとは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA%EF%BD%A5%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF-1190663|website=コトバンク|accessdate=2021-05-21|language=ja|first=世界大百科事典|last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>、それを裏付けるように
== 作品内容 ==
表題は「2つのヴァイオリンとヴィオローネまたはチェンバロのための3声の室内ソナタ」 (
== ラ・フォリア ==
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