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== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
地元で公立の[[愛知県立豊橋東高等学校|豊橋東高等学校]]に進学。{{要出典範囲|1年秋から遊撃手兼投手でレギュラーで活躍。地元の強豪私学高校が沢山ある厳しい中で2年の秋に県16強の成績を残し、3年生の時は4番打者として活躍した。|date = 2020年5月}}
 
[[筑波大学]]へ入学後は、2003年首都大学連盟春季1部リーグで打率.340、50打数17安打6打点と個人打撃成績7位の成績を残す<ref>週刊ベースボール増刊 大学野球2003秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社</ref>。{{要出典範囲|大学3年生の冬にスイッチヒッターに転向。リーグ戦通算57試合出場、169打数43安打、打率.254。|date = 2020年5月}}
 
[[NTT西日本]]では、プロでも同僚となる[[齊藤信介]]や[[脇谷亮太]]とプレーしていた。[[第36回IBAFワールドカップ日本代表|野球W杯]]で社会人で編成された日本代表に選出。
 
[[NTT西日本]]では、プロでも同僚となる[[齊藤信介]]や[[脇谷亮太]]とプレーしていた。{{要出典範囲|入社後徹底的にウエートトレーニングで鍛え体脂肪を6%〜7%の肉体に鍛え上げ、守備、走塁に加え打撃でも成長。|date = 2020年5月}}[[第36回IBAFワールドカップ日本代表|野球W杯]]で社会人で編成された日本代表に選出。{{要出典範囲|チェコ戦では本塁打を放つなど攻守にわたり活躍した。2005年社会人日本選手権に出場し決勝までフル出場しチームの準優勝に貢献した。|date = 2020年5月}}
[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年の大学生・社会人ドラフト会議]]で、[[中日ドラゴンズ]]から3位指名を受けて入団する。