「ウィリアム・キッド」の版間の差分

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その後、彼は[[ブリガンティン]]船ブレスト・ウィリアム号{{refnest|group="注"|「幸福なウィリアム号」と訳される<ref>別枝、(1965)、p45</ref>。}}を指揮して[[西インド諸島]]で私掠行為を行って名をはせていた<ref name=d313/>。[[1691年]]、キッドは{{仮リンク|ロバート・カリファド|en|Robert Culliford}}{{refnest|group="注"|他表記:クリフォード<ref>別枝、(1965)、p45</ref>、カリフォード<ref>ゴス、(2010)、p21</ref>。のちに彼はイギリス東インド会社所有の船舶の船長となった後、その船を奪ってからインド洋で海賊行為をするようになった<ref>別枝、(1965)、p54,p55</ref>。}}率いる反乱者たちによって[[アンティグア]]に置き去りにされた<ref name=d313/>。
 
その出来事の後キッドは再び海に出ていき、アメリカ植民地を襲うフランス船を拿捕して、ニューヨーク植民地議会から表彰された上で特別褒賞として150ポンドを受け取った<ref name=別枝46>別枝、(1965)、p46</ref>。それによりキッドの名はニューヨーク外のアメリカ植民地などにも知れ渡っていった<ref name=別枝46/>。それから彼は、[[ニューヨーク市]]で[[セアさら・ブッドリー・コックス・オート]]と言う美女未亡人と結婚した<ref name=d313/>。その後商人になった<ref name=d314>コーディングリ、(2000)、p314</ref>。
 
=== 私掠船の船長として ===