「レラ遺跡」の版間の差分

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| refnum = 83004524<ref name="nris">{{NRISref|version=2010a}}</ref>
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[[ファイル:Lelu_Island.PNG|thumb|レラ島の地図。西半分が低地であることがわかる。]]
[[ファイル:Lelu_-_plan_du_site_archéologique.jpg|thumb|レラ遺跡の地図]]
'''レラ遺跡''' (Leluh, Lelu) は、[[ミクロネシア連邦]]に残る都市の遺構とそれを取り囲む[[先史時代]]・歴史時代の[[考古遺跡]]で、[[コスラエ州|コスラエ島]]に付随するレラ島に残っている。柱状の玄武岩を組み上げた建造物群が残り、同様の構造物を多く含む[[ナンマトル]](ナン・マドール)とともに、ミクロネシア連邦を代表する[[巨石記念物]]である。残っているのは、14、15世紀頃に最盛期を迎えた文明のもので、19世紀初頭にヨーロッパ人たちが接触したときにまだ顕著であった要素を含んでいる<ref name=Leluh>{{cite web| url = http://www.nps.gov/history/nr/feature/asia/2001/fsm.htm| title = National Asian Pacific Heritage Month| accessdate = 2014-10-24| publisher=[[National Park Service]]}}</ref>。
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== 概要 ==
レラ島は西部の平地と西部の山地に二分でき、レラ遺跡は前者の平地のほとんどを占める<ref>{{Harvnb|植木|1978|p=194}}</ref>。遺跡の面積は27[[ヘクタール]]<ref name = intou />である。
 
レラの支配者たちはコスラエ島を段階的に征服し、ついには島を統一した。レラの首都から支配者たちは島を統治したが、その政体について、考古学者たちからは[[トンガ大首長国]]や[[ハワイ王国]]の政体に似たものであったと見なされている。レラ王朝による建設の開始は1250年ごろで<ref name = centre>{{Harvnb|太平洋諸島センター|2013|p=48}}</ref>、最盛期は1400年とも<ref name = centre />、1500年から1700年ごろ<ref name = intou />とも言われている。建設に携わった王朝の末裔と思われる首長は、19世紀までレラ遺跡に住んでいたらしい<ref>{{Harvnb|植木|1978|p=206}}</ref>。