「木原覚恵」の版間の差分

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#八坂マツの連れ子である八坂覚照が、高野山真言宗より独立して、昭和21年([[1946年]])に設立した'''中山身語正宗'''
#覚恵とマツの次男である[[八坂仰純]]が、母マツの遺骨分骨問題をめぐる本山との対立より中山身語正宗を離脱し、昭和53年([[1978年]])に設立した'''身言正宗'''。裁判の結果、覚恵とマツの遺骨はここに。
#覚恵と最初の妻チエの子である木原覚法が継いで[[真言宗泉涌寺派]]に属し、その息子である[[木原覚英]]が[[真言宗泉涌寺派]]を離脱・独立して昭和50年([[1975年]])に設立した'''光明念佛身語聖宗'''
 
なお覚恵は、身言正宗及び光明念佛身語聖宗では旧姓の木原覚恵であるが、八坂マツの連れ子であった八坂覚照(本名:早太)が独立開教した中山身語正宗では八坂覚恵とする。