「ジャクリーン・ケネディ・オナシス」の版間の差分

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| birth_place = {{USA}}[[ニューヨーク州]][[サウサンプトン (ニューヨーク州の町)|サウサンプトン]]
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1929|7|28|1994|5|19}}
| death_place ={{USA}}[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]]
| order=[[:en:First Lady of the United States|アメリカ合衆国のファーストレディ]]
| term_start = 1961年1月20日
| term_end = 1963年11月22日
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| term_start2 =
| term_end2 =
| occupation =[[アメリカ合衆国のファーストレディ|アメリカ合衆国大統領夫人]]、編集者
| party =
| predecessor = [[マミー・アイゼンハワー]]
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12時30分、エルム通りを走る車の中でジャクリーンの隣に座っていたケネディ大統領が2発の銃弾を受けた。ジャクリーンは突然倒れた夫の異常に気づき、車の後部トランクの上にあがった{{efn2|彼女のこの行動について、今日でもいろんな意見はあるが、銃撃後1秒も経たずに意図を持った行動をするのは不可能で、とっさの反射行動であるとするのが自然である。前列にいたコナリー知事夫人は後に後方トランクには何も無かったと言い、コナリー夫妻には大統領の骨と脳組織の一部を浴びている。またシークレットサービスのクリント・ヒルは翌年のウォーレン委員会で「何かを探していたようだ」と証言しているが、実際にトランク上に「大統領の骨の一部」を見たとは言っていない。}}。
 
後方にいたジャクリーンのシークレットサービス、クリント・ヒルが車に駆け上がってジャクリーンを座らせた。車はそのまま[[パークランド・メモリアル記念病院]]に向かったが、病院に到着後に夫の体を抱きしめているジャクリーンは大統領の身体を引き離さず、クリント・ヒルが自分のスーツの上着を大統領の頭と上半身にかけて、やっと引き離して病院の救急病棟に運び入れた<ref>クリント・ヒル著「ミセス・ケネディ」 369P</ref>。病院で夫の死を覚悟したジャクリーンは司祭を呼ぶよう依頼し、ずっと夫の傍にいたいと告げて処置室に入った<ref>タラボレッリ、pp216-219</ref>。やがて終油の秘蹟を受けて大統領の死亡が告げられた。
 
午後2時15分、暗殺された大統領の遺体は棺{{efn2|この時、星条旗に覆われた棺と説明する向きもあるが、実際はワシントンまで星条旗をかけていない。}}に入れられて[[エアフォースワン]]に積み込まれ、混乱の続く機内では副大統領[[リンドン・ジョンソン]]が[[1963年リンドン・ジョンソン大統領就任式|第36代大統領としての就任宣誓]]を行い、血染めの服をきたままのジャクリーンが横に同席してこれを見守った。就任宣誓を終えてすぐに[[エアフォースワン]]はワシントンに向けて飛び立った。
 
[[File:JFK's family leaves Capitol after his funeral, 1963.jpg|thumb|left|250px|ケネディ大統領の国葬に参列するジャクリーンと遺児たち(1963年11月25日)]]