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[[Image:Sinzyou castle dainoudoyagura.JPG|thumb|230px|大納戸櫓跡]]
 
'''新庄城'''(しんじょうじょう)は、[[出羽国]](羽前国)[[最上郡]]<ref>太閤検地以前は[[村山郡]]。名称変更と分割併合が行なわれた。築城時は[[最上郡]]。</ref>新庄(現在の[[山形県]][[新庄市]]堀端町)<ref>「角川日本地名大辞典 6 山形県」</ref>にあった[[日本の城]](中世の[[平城]])である。別名'''沼田城'''(ぬまたじょう)、'''鵜沼城'''(うぬまじょう)と呼ばれる。新庄市指定史跡。
 
== 概要 ==
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[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では戦闘の舞台となった。当初、[[新庄藩]]は[[奥羽越列藩同盟]]に参加していたが、[[久保田藩]](秋田藩)が新政府側へ変節したのに同調し、奥羽越列同盟から離脱した。これに激怒した庄内藩は新庄藩へと攻め入り、庄内藩兵と新庄藩兵の間で攻城戦が行われたが新庄城は陥落して、その大部分が焼失した。当時の藩主、戸沢正実は久保田藩へ落ち延びた。新庄城は同年のうちに廃城となった。
 
現在は、新庄城の建物のほとんどが失われ、本丸址に戸澤神社、護国神社、稲荷神社、天満神社がある。このうち、天満神社は城を創建した[[戸沢氏]]の氏神で、藩政時代から現存している唯一の建造物であり、県指定文化財([[昭和]]63年([[1987年]])8月25日指定)になっている。新庄市老人福祉センターや新庄市保健センター付近では三の丸堀跡も確認できる。本丸跡、二の丸跡を含めた城跡は最上公園として市民に開放されており、新庄市出身の[[折下吉延]]による[[心字池]]がある。

また、最上地方随一の桜の名所として知られ、毎年4月20日前後に見頃を迎え、「カド焼きまつり」の会場となる。夏は天満神社の縁の祭りである[[新庄まつり]]が開催される。
 
== 城郭 ==
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; 本丸
: 設備:御殿、土塁、濠、三層天守(落雷で焼失)、二重櫓3棟
: 現在は、本丸跡に「新庄城天守台跡」の碑。
; 二の丸
: 設備:土塁、濠
; 三の丸
; 表御門
 
: 現在は、[[石垣]]の一部が残り、「表御門跡」の碑(本記事右の[[写真]](囲み概要の画像)も参照)。
== 城下 ==
[[城下町]]は[[羽州街道]]に沿って商家が集まり、城下各地に職人町が造られた。羽州街道は元々「東の道」と呼ばれて[[神室山|神室連峰]]の山裾を縫っており、城域から少々離れていたが、築城を機に城下を通るように変更された。同様に[[庄内地方]]からの道路も、本合海から新田川の川沿いを通って宮野、角沢、鳥越に至るルートであった([[源義経]]の「東下り」もこのルートである)が、新庄藩によって長坂峠(現在の八向中学校前の坂)越えの道が開削され、福田、二軒(仁間)から城下へと向かう道になった。
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#[[戸沢正実]](まさざね)〈従四位下。上総介〉
新庄藩の記述に同様のものがあります。-->
 
== 交通 ==
* JR東日本・[[山形新幹線]](奥羽本線)[[新庄駅]]から徒歩15分。
* [[東北中央自動車道]]・東根ICから約50分。
 
== 脚注 ==
<div class="references-small"><references /></div>
 
== 関連項目 ==
* [[日本の城一覧]]
* [[北海道・東北地方の史跡一覧]]
* [[戸沢氏]]
 
== 外部リンク ==