「ヒライハルキ」の版間の差分

*中学2年生でギターを始め、学校内行事の文化祭などで友人たちとバンドを組み初ステージを踏む。 当時、平井は[[BOØWY]]に多大な影響を受けており、[[BOØWY]]の代表曲を数曲演奏。その当時のバンドでヴォーカルを勤めていたのは、現[[てるる...]]のヴォーカル・ギターの渡辺 豪である。彼等は、[[東久留米市]]中央中学校の同窓生であり、2・3年生時の2年間は同級生でもあった。
*平井が高校2年の時に、bass 平井遥樹・vo/gt 渡辺豪・drums 甲田悠一朗で、てるる...を結成(結成を機に平井はbassに転向)。てるる...としての初ライブを平井と渡辺の地元の隣町にある[[西東京市]]の田無神社で行う。 若干16歳・17歳という若さなどものともせず月数本のライブ活動を展開していく。 バンドコンテスト等にも積極的に応募し、あるコンテストでは決勝大会まで勝ち進み、審査員特別賞を受賞、18歳で[[横浜アリーナ]]のステージに立っている。
*一時、てるるは東京でメジャーレコード会社数社での争奪戦が起こるほどにその名を挙げる。この頃SONY・SD(レコード会社SONYの新人育成の会社。てるる...と同時期に[[レミオロメン]]等)に面倒をみてもらっていたてるる...は、[[キューンレコード|Ki/oon Records]]の中山氏(現在、[[電気グルーヴ]]/[[ギターウルフ]]/[[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]等を担当)から当時[[thee michelle gun elephant]]が所属していたbad musicの能野氏を紹介される。 しかし彼等はbad musicへの所属[[キューンレコード|Ki/oon Records]]からデビューする話を契約目前にして断わっている。その後[[キューンレコード|Ki/oon Records]]からデビューしたバンドが[[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]である。他にも、[[椎名林檎]]のために設立された音楽事務所・solid bondの中島氏からもラブコールがかかるが、これもてるる...側が断わっている。
*平井が高校卒業とほぼ同時期に現在のてるる...の所属事務所ジュンアンドケイに籍を置く。
*その後、BMG FUNHOUSE(現[[BMG JAPAN]])とメジャー契約を結ぶが音源リリースをしていないてるる...は、ラストラムコーポレーション(当時、[[54-71]]/[[BEAT CRUSADERS]]等が在籍)とも同時に契約を結び、めでたくインディーデビューを果たし[[タワーレコード|TOWER RECORDS]] B1でのレコ発ライブを行っている。売れ行きは伸びないものの順調にCDのリリースを重ね、さあメジャーデビューという矢先、平井と渡辺との間で歯車が狂い始める。
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