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'''藤原 惟通'''(ふじわら の のぶみち)は、[[平安時代]]中期の[[貴族]]。[[藤原北家]][[藤原良門|良門]]流、[[越後国#国司|越後守]]・[[藤原為時]]の子。[[藤原惟規]]・[[紫式部]]らの異母弟。[[官位]]は[[従五|従五位下]]・[[安芸国#常陸国司|安芸守常陸介]]。
 
== 経歴 ==
[[寛仁一条天皇|一条朝]]3年(から[[1019年三条天皇|三条朝]])7月にかけて[[蔵人|蔵人所雑色]]・[[兵衛府|右兵衛尉]]を歴任。[[後一条天皇|後一条朝]]に入り、[[常陸国司|常陸介]]在職中の[[寛仁]]3年([[1019年]])7月任ぜ四位に叙せられるが、翌寛仁4年([[1020年]])7月3日に任地で卒去した。享年不詳だが、40代前半だったと思われる。
 
惟通が没した後も、彼の母(式部の継母にあたる)と妻子は帰京せずに[[常陸国]]にとどまった。これは常陸に惟通とその一族が所有する[[荘園]]があったことを意味している。惟通が没した年の寛仁4年(1020年)閏12月26日、惟通の未亡人が常陸国住人の[[平為幹]]によって強姦されるという事件が起こった。惟通の母の訴えにより、為幹は逮捕されて身柄を拘束されたが<ref>『左経記』寛仁4年閏12月26日条</ref>、翌年には赦免されている。
 
== 官歴 ==
*[[寛弘]]6年([[1009年]]) 正月10日:[[蔵人|蔵人所雑色]]<ref name="gk">『権記』</ref>
*[[長和]]2年([[1013年]]) 11月9日:見[[兵衛府|右兵衛尉]]<ref>『御堂関白記』</ref>
*[[寛仁]]3年([[1019年]]) 4月5日:見[[常陸国司|常陸介]]<ref name="syk">『小右記』</ref>。7月13日:叙四位<ref name="syk" />
*寛仁4年([[1020年]]) 7月3日:[[卒去]]<ref>『小記目録』</ref>
 
== 脚注 ==
{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
*宮崎康充編『国司補任 第四』[[続群書類従完成会]]、1990年
 
{{DEFAULTSORT:ふしわら の のふみち}}
[[Category:良門流|のふみち]]
[[Category:平安時代中期の貴族]]
[[Category:10世紀生]]
[[Category:1020年没]]