「ユーロゲーム」の版間の差分

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[[安田均]]によれば、ボードゲームは20世紀の最後の四半世紀に爆発的に発展したとされる。具体的には1970年代後半の英米における[[ウォー・シミュレーションゲーム]]の発達と[[テーブルトークRPG]]の出現、それに続く1980年代のこれらのジャンルの隆盛を画期とする。とはいえ、こうした新しいボードゲームの潮流は1980年代後半に始まる[[コンピューターゲーム]]の爆発的な発展によってユーザーの多くを奪われ、死に絶えたようにも思われていた。実際、安田によればアメリカの老舗のゲーム評論誌「[[:en:Games World of Puzzles|Games]]」も1992年から1995年までは年間ベストゲーム一覧すら掲載出来ないような惨状であったとされる<ref>安田2006</ref>。
 
しかし、この間独自の発達を続けていたのが、本項で採り上げる、いわゆる「ユーロゲーム」であった。1970年代後半から1980年代初頭のあたりから[[#特徴|後述する各種の特徴]]を持つ新しいスタイルのボードゲームがドイツで発売されはじめ、独自の市場を確立させていった。ドイツではそれ以前の1960年代後半頃から、『[[アクワイア]]』翻訳版を契機に生まれたゲーム批評の論壇が全国紙[[ディー・ツァイト]]を中心として成立し、この流れが1979年[[ドイツ年間ゲーム大賞]]へと結実する。また、1988年[[ニュルンベルク国際玩具見本市]]においてボードゲームのデザイナー達は「ビアコースター宣言(Bierdeckel-Proklamation)」を表明、これは以後ドイツのデザイナーは箱に名前を明記を必須条件とした契約のみを結ぶという合意で、本の著者などと同等の扱いを要求する一種の労務決議であった。これが上述のドイツのボードゲームに固有の「著者」性を確立させる画期となった。その後1995年に発売された『[[カタンの開拓者たち]]』の大ヒットをきっかけに、翌1996年あたりからユーロゲームは世界的なブームを巻き起こした。
 
現在ではドイツは世界屈指のボードゲームの市場を持つ国であり、2007年には俗に言う[[アナログゲーム]]の総売り上げが4億ユーロを突破しており、これはその時点でのドイツの玩具市場の総売上の17.8%を占めていた<ref>[http://www.spielbox.de/php/aktuell.php4?anz_id=1604 Spielbox-online:Spiele erreichen die 400-Millionen-Grenze]</ref>。20世紀後半よりドイツが突出したボードゲーム大国になった理由は様々な説があるが定説と呼べるものはない。説の一つには「ドイツでは労働厚生の制度がしっかりしており残業が少なく家族で過ごす時間が多くとることが出来るため、夜に家族全員で遊べるボードゲーム文化が発展した」というものがある<ref name="paradise" />。