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{{出典の明記|date=2015年10月27日 (火) 12:09 (UTC)}} '''生の哲学'''(せいのてつがく、{{lang-de-short|Lebensphilosophie}}、{{lang-fr-short|philosophie de la vie}}、 {{lang-en-short|philosophy of life}})は、[[ルネ・デカルト|デカルト]]的[[心身二元論]]的な知性や理性に限定された我々19世紀以後存在を超克生物学革命それよ先んじて非合理的な我々の生そのものへとアプローチわけ進化論に呼応ていく精神史の思潮のひと。シュレーゲルよりも後では反形而上つ、生まれた哲学的要素が強潮流を。19世紀後半~20世紀前半に盛んになった
 
== 歴史 ==
唯一の包括的な通史である、[[オットー・フリードリッヒ・ボルノウ|ボルノウ]]の『生の哲学』(玉川大学出版部)によると、「生の哲学」という語はヤコービに見出されるが、精神的な起源としてはルソーに遡るという。ただ、後世への影響力という点で頭抜けているニーチェと[[アンリ・ベルクソン|ベルクソン]]を見る限り、ダーウィンの進化論に代表される生物学の新知見との関係が大きいし、そういった面から見る方が哲学的には有益で生産的である。事実、自然科学への理解力という点では疑問符のつくニーチェを、ベルクソンによって補完しようとする動きは、ドイツ語圏でも、ジンメルやシェーラーなどに明確に見出される。特に、ベルクソンと同世代のジンメルは、教え子にベルクソンの『創造的進化』のドイツ語訳を委ねているし、ボルノウによると、ベルクソンからの影響は言い回しのすみずみにまで及んでいるほどである。ただ、ジンメルは生のただ中における死という問題を提起した点で、ハイデガー、ジャンケレヴィッチなど、生の哲学という範囲を超えて、重要な位置を占める。
=== 生の哲学の特殊事情 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
生の哲学は哲学のひとつの立場ともいうが、当初この動向は、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]、[[セーレン・キェルケゴール|キルケゴール]]などの文学的な体裁を借りた思想的エッセイとして現れ、彼らは生前中ほとんど正当な哲学者としてはみなされておらず<ref>日本の[[和辻哲郎]]などがそれを哲学として論じたりしているのは、むしろ珍しい例である。</ref>、[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]の『体験と創作』(1905)や[[ゲオルグ・ジンメル]]の数多くの哲学的エッセイなどにその影響を残すにとどまっていた。
 
キルケゴールは、[[カール・ヤスパース]]、[[カール・バルト]]、[[パウル・テリッヒ]]、[[マルティン・ハイデッガー]]らの評価によって初めて、そうした哲学の立場があったものとして20世紀に至ってようやく広く承認を受けるに至ったのであり、その点の事情は、ニーチェも同様である。したがって、生の哲学の歴史は、時系列で並んでいるものではないといえる。
 
また、生という語は、西洋の各国語において、人生という意味も持つ。そのため、生の哲学に数え入れられる哲学の中には、単に人生論といったほうがよいものも含まれる。シェーラーの師でもあったオイケンは、そういったタイプの哲学者といってよい。ちなみに、オイケンは生前、ノーベル文学賞を受賞するなど、高い知名度を誇ったが、今日ではほとんど読まれてはいない。
=== 前史 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
[[ファイル:Schlegelvers1829.jpg|200px|thumb|フリードリヒ・シュレーゲル]]
Lebensphilosophieは、近代以前では、「人生哲学」と呼ばれるものであり、「どのようにして、良く生きるか」という古代時代からしばしば論じられてきたテーマのひとつを指してきた。
 
ニーチェとベルクソンの影響は、おもにフランス哲学、とりわけドゥルーズに端的に見出されるが、ドゥルーズと対極的なデリダにも見出される。20世紀以後の生物学革命との関係という点からも、この二人は重要である。
この語に特別な意味をあたえた一人が、[[フリードリヒ・シュレーゲル]]であり、「生の哲学に関する講義」(1828年)においてである。反革命キリスト者として、キリスト教の神の恣意の顕現としての生を肯定的に捉えた。キリスト教神学的生の哲学なのである。同時代のドイツ大詩人[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]も生の哲学について言及するなど、1800年前後から次第に関心がもたれ始めた。このように生の哲学の前史は19世紀ドイツの[[ロマン主義]]に遡ることができる。
 
また、ベルクソンは、ウィリアム・ジェームズと親交があったこともあり、[[プラグマティズム]]への影響も無視できまい。
=== 生の哲学の成立と発展・現在 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
[[ファイル:Picture of Schopenhauer.jpg|200px|thumb|アルトゥル・ショーペンハウアー]]
19世紀、 [[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]、[[ニーチェ]]などを通して生の哲学が神学内性を脱し、ひとつの骨のある思想の一潮流となった。 ドイツでは、[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]、[[ゲオルク・ジンメル]]、[[ヘルムート・プレスナー]]、[[ルートヴィヒ・クラーゲス]]、[[オスヴァルト・シュペングラー]]らによって発展し、その影響は、[[アンリ・ベルクソン]]、[[ホセ・オルテガ・イ・ガセット|オルテガ・イ・ガセット]]、[[カール・ジョエル]]らに及んだ。
 
その後、生の哲学は、ドイツ哲学では、現在、実存哲学と[[実存主義]]にほとんど吸収され尽くしてしまったが、その哲学史における影響は極めて大きなものであったとされている。
 
20世紀、生への思想的アプローチはフランス哲学で主に語られ、[[ポストモダン]]主義などと相まって、現代フランス哲学ではこの流れを汲む者も少なくない。また、 [[プラグマティズム]]など20世紀の思想に与えた影響は少なくない。ただ、例えばドイツ観念論のような哲学の流派のかたちはなしていない<ref>ある思想家の哲学がどのようなジャンル・性質・位置なものかは後世の研究家が決めることが多い、というのもあるが</ref>。
 
== 解説 ==
=== 生の哲学の哲学における地位 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
{{独自研究|date=2015年10月26日 (月) 11:35 (UTC)|section=1}}
『生の哲学』というタイトルの本は、[[ディルタイ]]や[[ジンメル]]のほか、[[ハインリヒ・リッケルト]]が執筆しているが、ディルタイの著作は[[ヘルマン・ノール]]が編纂した講義録である<ref>ジンメルの原タイトルは''Lebensanschauung''である。</ref>。また、[[オットー・フリードリッヒ・ボルノウ]]の『生の哲学』(玉川大学出版部)もあるが、ボルノウは哲学というよりは、教育哲学で活躍したので、教育学よりの批評になっている。
 
{{独自研究範囲|date=2015年10月26日 (月) 11:35 (UTC)|このように、哲学においては生の哲学だけ掻い摘んで叙述するということはできない。というのも、やはり論理・宗教・自然などの各種問題をも自身の哲学の体系に取り入れ、その中のひとつとして「生」という問題がはじめて語ることができる性質のものだからである。仮に生の哲学だけして掻い摘んで叙述しているのであれば、その人物は哲学者とは呼ばれず、むしろエッセイストなどと呼ばれるべきだろう。}}
 
=== 生の概念 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
19世紀の前半までは生そのものは、偶然的で否定的な要素として哲学外の事として扱われていた。[[カント]]や[[ドイツ観念論]]を初めとする当時の「本流」の哲学は[[認識論]]、[[実在論]]などをあくまで[[理性]]を中心に見据えて理論を展開しており、基本的に生そのものは構想から外れているといえる。このことを近代哲学の完成者とされる[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]の哲学を例にとってみてみよう。彼は、直接的な[[意識]]から始まり、[[弁証法]]によって相矛盾する対立を止揚しながら、即自から対自、存在から絶対的知識へ発展して[[現象]]の背後にある[[物自体]]を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になると説く。そして、人類の歴史は、絶対精神が弁証法的に発展し、自由を獲得する過程でもあり、理性が自然を克服し、原始的な宗教から啓示宗教が支配する社会を経て自由な国家が成立することによって歴史は終わるとした。その哲学大系においては、歴史の流れの中にある人間の生のみならず、真・善・美といった価値でさえ理性によって最終的に担保されるものであったのである。そこでは生とは、絶対的存在(あるいは神)の体現としての固定的なものにならざるを得ず、「生の哲学」で展開される動的な生とは性質の違うものである。この時代の生の哲学の源流はむしろ当時の哲学の本流とみなされていなかった反啓蒙・反カント主義者たち([[ヨハン・ゲオルク・ハーマン|ハーマン]]や[[フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ|ヤコービ]]など)であり、彼らの思想は理性よりも人間本来のもっている信仰や感情の能力の優位を唱え、生そのものを直接的に捉えようとするきっかけを作るものであった。
 
生の哲学における「生」とは、このような本流哲学に対抗する概念であって極めて文化闘争的なものであり、「生物」としての人間の生といった限られた意味をもつにすぎないものではない。むしろ理性に対する生の優位、つまり理性とは、理性によっては捉えることのできない非合理的な生を実現するための「道具」にすぎないものであるという価値を含んだものなのである。そこでは、生を脅かすものは「病」であるとされたのである。
 
「生」とはどのようなものかについては、論者によって差があり、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、当初ショーペンハウアーを絶賛していたニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とし、ディルタイは歴史の流れの中にある客観的精神体としており、それぞれニュアンスに違いがあるが、合理的な理性に対する、非合理な生の優位を主張する点でおおまかな一致をみることができる。
 
このような生の哲学における非合理主義は、合理的な「学としての哲学」を拒むものとして非難の対象となり、[[新カント派]]は生の哲学を批判した。このような流れの中で、論理性・実証性を重視し、いいかげんな概念を用いる哲学や形而上学を批判する[[論理実証主義]]も生まれた。
 
以上に対しては、生の哲学の問題意識を受け止めつつ、学と生の両者の対立を克服しようとした[[エトムント・フッサール|フッサール]]の[[現象学]]がある。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
* [[人生の意義]]
* [[国家社会主義ドイツ労働者党]]
* [[歴史主義]]
* [[モラリスト]]
 
== 関連人物 ==
* [[アルトゥル・ショーペンハウアー]]
* [[フリードリヒ・ニーチェ]]
* [[アンリ・ベルクソン]]
* [[ゲオルク・ジンメル]]
* [[ヴィルヘルム・ディルタイ]]
* [[ヘルムート・プレスナー]]
* [[ホセ・オルテガ・イ・ガセット]]
* [[カール・ジョエル]]
* [[ルートヴィヒ・クラーゲス]]
* [[オスヴァルト・シュペングラー]]
 
== 外部リンク ==