「教育ニ関スル勅語」の版間の差分

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=== 現在 ===
文部省・文部科学省の中央教育審議会、市区町村における教育関連の研究会・勉強会などでは、教育勅語が勅令ではなく法令としての性質を持たなかったこと、教育基本法が教育勅語を形骸化するものとなった一方で法令であること、教育勅語が過去に国会で排除・失効確認されていること、教育勅語の内容は道徳的な記述がなされているに過ぎないこと、等々をふまえ、教育基本法を論じる際には比較・参考の資料とすることも多く、一部では部分的な復活についての話題が出ることもあり、見直され、評価されることもある。「教育勅語について、排除・失効決議に関係なく、副読本や学校現場で活用できると思うがどうか」という質問について、文部科学省[[初等中等教育局]]長は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切であるというふうに考えますが、教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」と答弁している<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/186/0061/18604080061009a.html 第186回国会 参議院文教科学委員会 第9号 2014年4月8日]。</ref>。教育勅語を教育理念の中に取り入れ、生徒に暗唱させている学校もある<ref>{{Cite web
|date = 2011-03-23
|url = http://www.kaisei-osaka.ed.jp
「近代国家として成立したばかりの大日本帝国」を前提に1890年に発布された教育勅語は、日本が列強の仲間入りを果たした日清戦争(1894年)後くらいから既に時代に合わなくなり始めたため、第3次伊藤内閣(1898年-)時代の文相・西園寺公望によって列強国の国民としての社会道徳を説いた『第二教育勅語』の起草が行なわれたが、教育勅語は一言一句が神聖視されていたため、「教育勅語の改訂」という作業が行えなかった。そのため、「[[戊申詔書]]」(1908年)や「[[青少年学徒ニ賜ハリタル勅語]]」(1939年)などの新たな勅語の発布で教育勅語を補うとともに、「教育勅語の再解釈で補う」という方式が取られ、時局に合わせて教育勅語は再解釈された。これらの解釈は、社会情勢や時局の推移によってかなり違い、特に太平洋戦争期には、極めて戦時色の強い解釈が行われている。これらはすべて廃止される1948年に至るまで、教育の基本方針として使い続けられた。
 
そのほか時代により、公的根拠や学問的背景のない一般人による独自解釈が存在する。例えば「生きて虜囚の辱めを受けず」の『戦陣訓』の執筆者、中柴末純陸軍少将の『皇道世界観』(1942年)など大戦中の狂信的な解釈{{efn2|「祭政教一致・君臣一致・忠孝一本の至上原理を見る」という。同書p.235}}、また[[明治神宮]]の配布する、戦後社会に合致させようと独自解釈した「国民道徳協会」訳{{efn2|その結果、原文とはかなり乖離するものになっている。執筆者は自民党衆議院議員の[[佐々木盛雄]]という}}などがある。そしてこれらの素人解釈でも、執筆者の地位や発行母体によっては広く知られている場合もある。
 
なお、勅語や[[御製]]などの天皇の言葉は、いわゆる現代語訳はおろか、何らかの言い換えをすることすら戦前は不敬とみなされかねないため、基本的に教育勅語を解説した書物は、まず勅語の全文を掲載した後、勅語の一部分ごとに区切って抜き出して、その意味を謹んで解釈する「謹解」という形式をとる。
 
:1940年は教育勅語渙發五十年記念にあたるため、記念式典が行われた。10月文部省内に聖訓ノ述義ニ関スル協議会が設置された。その際に編纂された文部省図書局「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」に、教育勅語の逐語訳(現代語訳)および解釈が載っている。ここに載っている逐語訳「教育に関する勅語の全文通釈」が、文部省による公式の現代語訳であり、研究者の間では通称「'''全文通釈'''」と呼ばれる。
:これは一般向けに公開されたものではない(逐語訳を公開すると[[不敬罪]]に問われる恐れがあり、文部当局といえども「不敬ではないか」という攻撃を気にせねばならなかった)ため、当時の一般人には知られていないが、数少ない公式の現代語訳であり、新字新仮名にさえすれば2000年代でも割と読みやすいので学生や一般人に説明するときに便利であり、また太平洋戦争期における教育勅語の超国家主義的な解釈を良く示すものとして、後世の研究者の間では知られる。
 
;初等科修身 四(1941年)
;教育勅語等排除に関する決議(1948年)
:1948年6月19日に衆議院で全会一致で決議されたもの。「これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」と解釈され、これをもって教育勅語は日本国から排除された。
:なお、あくまで1948年の時点では、[[GHQ]]の意向に逆らって教育勅語を擁護すると[[公職追放]]等の危険があったこともあり教育勅語の排除は衆・参で[[全会一致]]を見たが、後の時代には「教育勅語を全面的に支持する」「核の部分は支持できる」などと公言する議員も登場している。
 
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