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考古的加筆
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[[File:Kiboku and Futomani.png|thumb|250px|亀卜に使う亀の甲羅(左)と[[太占]](骨卜)に使う鹿の肩甲骨(右)]]
 
'''亀卜'''(きぼく)は、[[カメ]]の[[甲羅]]を使う[[卜占]](占い)の一種。カメの甲羅に熱を加えて、生じた[[亀裂|ヒビ]]の形状をて占う。'''甲卜'''(こうぼく)ともいう{{Sfn|神澤|1983|p=1}}
 
==概要==
占いに使う亀の甲羅は、腹甲を乾燥させ薄く加工したものを用いる。甲羅に溝や穴を開けた部分に燃やして熱い波波迦木(ははかぎ、[[ウワミズザクラ|上溝桜]])<ref>大嘗祭の際の「斎田点定の儀」で用いられる[[鎌田純一]]『平成大禮要話』p.74 ISBN 4764602628 尚、4764602628)。なお2019年(令和元年)5月の斎田点定の儀の際の波波迦木は古式に則り奈良県の[[天香具山]]の麓から伐採され提供された『三輪さん [[大神神社]]講社崇敬会会報』第110号 p.3 3)</ref>あるいは箒(サクラなどの木片)を押し付け、ヒビが入った状態から吉凶や方角を占う。甲羅を直接炎で加熱することはない。
 
起源は古代[[中国大陸]]で、[[殷]]の時代に盛んに行われていた。占いの結果などを彫り込んだのが[[甲骨文字]]である。[[]]代には衰え始め、[[]]代になると卜官も絶えた。日本には[[奈良時代]]に伝来。宮中関連の卜占は、それまでに行われていた[[ニホンジカ]]の[[肩甲骨]]を使った[[太占]]からに亀卜へと代わった。
 
[[日本列島]]には[[奈良時代]]ごろに伝来・普及したとされるが、実際の[[遺跡]]から出土する[[卜甲]]の現状最古の例は、[[神奈川県]][[三浦市]]の間口洞窟遺跡{{Sfn|神澤|1973}}から出土した[[古墳時代]]後期([[6世紀]]代)のものとされる{{Sfn|神澤|1983|p=1}}{{Sfn|神奈川県教育委員会|2016|p=28}}。宮中関連の卜占は、それまでに行われていた[[ニホンジカ]]の[[肩甲骨]]を使った[[太占]]からに亀卜へと代わった。
当時の支配層は、[[対馬国]]、[[壱岐国]]、[[伊豆国]]の[[卜部氏|卜部]]を[[神祇官]]の管轄下に組織し、亀卜の実施と技術の伝承を行なわせた<ref>『[[延喜式|延喜神祇式]]』「[[延喜式#構成|臨時祭]]」({{Cite web |url=https://www.kogakkan-u.ac.jp/http/engishiki/index.php?query=%CB%DE%B5%DC%BC%E7%BC%E8%A5%C8%C9%F4%B4%AE%BB%F6%BC%D4%C7%A4%C7%B7&submit=%B8%A1%BA%F7 |title=3巻:40条:【宮主ト部〔閣〕】 |trans-title= |accessdate=2020-01-08 |last= |first= |author=iZE Co., Ltd. |authorlink= |coauthors= |date= |year=2003-2005 |month= |format= |website=延喜式検索システム |work= |publisher=[[皇學館大学]] |page= |pages= |quote=凡宮主取ト部堪事者任之。其ト部取三國卜術優長者。〈伊豆五人。壹岐五人。對馬十人。〉若取在都之人者。自非卜術絶群。不得輙充。<br />(凡(およ)ソ宮主(みやじ)ハ 卜部ノ事ニ堪フル者ヲ取リテ之レニ任ズ。其ノ卜部ハ三国ノ卜術ノ優レ長ズル者ヲ取ル〈伊豆五人・壱岐五人・対馬十人〉。若(も)シ在都ノ人ヲ取ル者ハ、卜術の群ニ絶スルニ非ザル自(よ)リ、輙(たやす)ク充(あ)ツルヲ得ズ。)<br />『そもそも宮主は、卜部の中でもその仕事に堪うるものを採用して任命するのである。その卜部というのは、三国の中で卜術が優秀なものを採用するのである(伊豆から5人、壱岐から5人、対馬から10人)。もしも都に在住する人を採用する場合、よほど群を抜いたものでないのであれば、たやすくその職に充てることはできない。』 |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}})。</ref><ref>{{Cite book |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |editor=東アジア恠異学会 |year=2006 |title=亀卜: 歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす |url=https://books.google.co.jp/books?id=HYhzdMPweKoC&lpg=PA32&ots=0LpOb06hJo&dq=%E8%BC%99%E5%85%85&hl=ja&pg=PA32#v=onepage&q=%E8%BC%99%E5%85%85&f=false |accessdate=2012-01-13 |publisher=臨川書店 |language= |pages=31-32 |id= |isbn=9784653039624 |quote= }}
 
</ref>。卜部の技は、秘事かつ[[口伝]]であったため、材料(カメの種類や甲羅の部位など)や技術に係る未解明な部分も多い<ref>{{Cite web |date=2005-09-25 |url= http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=169|title=シンポジウム「亀卜 -未来を語る〈技〉-」 |publisher=國學院大學研究開発推進機構 |accessdate=2019-01-11}}</ref>。
当時の支配層は、[[対馬国]]、[[壱岐国]]、[[伊豆国]]の[[卜部氏|卜部]]を[[神祇官]]の管轄下に組織し、亀卜の実施と技術の伝承を行なわせた<ref>『[[延喜式|延喜神祇式]]』「[[延喜式#構成|臨時祭]]」({{Cite web |url=https://www.kogakkan-u.ac.jp/http/engishiki/index.php?query=%CB%DE%B5%DC%BC%E7%BC%E8%A5%C8%C9%F4%B4%AE%BB%F6%BC%D4%C7%A4%C7%B7&submit=%B8%A1%BA%F7 |title=3巻:40条:【宮主ト部〔閣〕】 |trans-title= |accessdate=2020-01-08 |last= |first= |author=iZE Co., Ltd. |authorlink= |coauthors= |date= |year=2003-2005 |month= |format= |website=延喜式検索システム |work= |publisher=[[皇學館大学]] |page= |pages= |quote=凡宮主取ト部堪事者任之。其ト部取三國卜術優長者。〈伊豆五人。壹岐五人。對馬十人。〉若取在都之人者。自非卜術絶群。不得輙充。<br />(凡(およ)ソ宮主(みやじ)ハ 卜部ノ事ニ堪フル者ヲ取リテ之レニ任ズ。其ノ卜部ハ三国ノ卜術ノ優レ長ズル者ヲ取ル〈伊豆五人・壱岐五人・対馬十人〉。若(も)シ在都ノ人ヲ取ル者ハ、卜術の群ニ絶スルニ非ザル自(よ)リ、輙(たやす)ク充(あ)ツルヲ得ズ。)<br />『そもそも宮主は、卜部の中でもその仕事に堪うるものを採用して任命するのである。その卜部というのは、三国の中で卜術が優秀なものを採用するのである(伊豆から5人、壱岐から5人、対馬から10人)。もしも都に在住する人を採用する場合、よほど群を抜いたものでないのであれば、たやすくその職に充てることはできない。』 |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}})。</ref><ref>{{Cite book |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |editor=東アジア恠異学会 |year=2006 |title=亀卜: 歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす |url=https://books.google.co.jp/books?id=HYhzdMPweKoC&lpg=PA32&ots=0LpOb06hJo&dq=%E8%BC%99%E5%85%85&hl=ja&pg=PA32#v=onepage&q=%E8%BC%99%E5%85%85&f=false |accessdate=2012-01-13 |publisher=臨川書店 |language= |pages=31-32 |id= |isbn=9784653039624 |quote= }}
</ref>。卜部の技は、秘事かつ[[口伝]]であったため、材料(カメの種類や甲羅の部位など)や技術に係る未解明な部分も多い<ref>{{Cite web |date=2005-09-25 |url= http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=169|title=シンポジウム「亀卜  -未来を語る〈技〉-」 |publisher=國學院大學研究開発推進機構 |accessdate=2019-01-11}}</ref>。なお、[[古墳時代]]後期から[[奈良時代]]の遺跡から出土する卜甲の実例では、[[アカウミガメ]]の腹骨を用いるものが知られる{{Sfn|神澤|1983|p=8}}
 
亀卜は、21世紀の現代でも[[宮中祭祀|宮中行事]]や各地の[[神社]]の儀式で行われている。宮中行事では、[[大嘗祭]]で使用する[[イネ]]と粟の採取地の方角(悠紀と主基の国)を決定する際に用いられる。2019年(令和元年)5月13日に皇居の宮中三殿で「斎田点定の儀」が行われた。[[2018年]]に行われた準備作業では、[[東京都]][[小笠原村]]で[[アオウミガメ]]の甲羅が調達されている<ref>{{Cite web |date= 2018-01-08|url= https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39710870X00C19A1SHA000/|title=皇位継承儀式、ぎりぎりの調整 「我々はプロ」 |publisher= 日本経済新聞|accessdate=2019-01-11}}</ref>。
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{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
==参考文献==
*{{Cite book|和書|first=勇一|last=神澤|title=間口洞窟遺跡 本文編|origdate=1973-03-25|year=1973|date=1973-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22857|location=神奈川県横浜市中区南仲通5-66|ncid=BN1480867X|doi=10.24484/sitereports.22857|series=神奈川県立博物館発掘調査報告書|volume=7|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|first=勇一|last=神澤|journal=神奈川県立博物館研究報告|title=日本における骨卜、甲卜に関する二三の考察-先史古代の卜骨・卜甲と近世以降の諸例との比較検討を中心に-|origdate=1983-03-31|date=1983-03-31|year=1983|pages=1-42|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/71054|ncid=BA14021272|doi=10.24484/sitereports.71054|series=神奈川県立博物館研究報告|volume=11|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=神奈川県教育委員会|title=平成28年(2016年)度 考古学ゼミナール ヒトと動物の関わり-考古学から考える-|origdate=2016-10-15|date=2016-10-15|url=https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/886982.pdf|publisher=神奈川県|format=PDF|ref=harv}}
 
==関連項目==
*[[甲骨文字]]
*[[新撰亀相記]]
*[[太占]]
*[[卜骨・卜甲]]
 
{{DEFAULTSORT:きほく}}