「慈悲」の版間の差分

(パーリ語mittaの語末母音は伸ばさないので、ミッターではなく、ミッタ(対応梵語のミトラがミトラーでないのと同様))
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== 漢訳仏教圏における慈悲の思想的発展 ==
{{独自研究|section=1|date=2010年7月}}
漢訳大乗経典を用いる仏教では、慈悲心を三種に説く。「衆生縁」「法縁」「無縁」の三縁慈悲である。いわば慈悲心の生起する理由とその在りかたをいう。
# '''衆生縁'''とは衆生(しゅじょう、jantu,sattva)を対象とする慈悲心である{{refnest|name=ニッポニカ_慈悲|[[藤田宏達]]、[https://kotobank.jp/word/%E6%85%88%E6%82%B2-74800#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 「慈悲」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]、小学館。}}。
# '''衆生縁'''とは衆生(しゅじょう、jantu,sattva)の苦しむ姿を見て、それを救うために、その衆生を縁として起こした慈悲の心。すなわち、衆生の苦を抜き、楽を与えようとする心である。
# '''法縁'''(ほうえん)とは、すでに煩悩を断じた聖人が、人々がべてのものごと([[法 (仏教)|法]]実体がなく[[空 (仏教)|空]]なりであるいう理をらずにってただ苦執著逃れ楽を得ようとあがくのをみ断じ、抜苦与楽せんと思うから起こす慈悲をいう{{refnest|name=ニッポニカ_慈悲}}
# '''無縁'''とは、何者をも対象とせずに起こす慈悲心の自然(じねん)の働きをいうものであり、{{refnest|name=ニッポニカ_慈悲}}。それは仏にしかない心であるという{{refnest|name=ニッポニカ_慈悲}}
この三縁の慈悲とは、第一は一般衆生の慈悲、あわれみの心をいい、第二は聖人、つまり[[阿羅漢]]や[[菩薩]]の位にあるものの起こす心、第三は[[仏]]の哀愍の心であると言える。この中で第三の無縁の慈悲心のみが本当の大悲(だいひ、mahā-karunā)と言える。<br/>
昔の人が俗世間的に慈悲の字を「茲心非心(じしんひしん)」と割って「この心、心に非ず」といい、自分の心を中心とするのでなく、相手の心を心として生きる。いっさいの衆生と平等であるという自覚に生きることが慈悲であると説明するのは、このことである。
 
== 脚注 ==