「海軍砲術学校」の版間の差分

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砲術学校の卒業生の多くが、軍艦砲術長や[[戦艦]]副砲長、[[海兵団]]幹部を経験し、やがて軍艦艦長・海兵団長・戦隊司令官・艦隊司令長官へと昇格した。[[日本海海戦]]の立役者として知られる[[安保清種]]大将や、地中海の船団護衛に尽力した[[佐藤皐蔵]]中将など、のちに教官として砲術指導にあたったのみならず、多くの教官が[[陸軍大学校]]から招聘されて[[重砲兵]]養成にも参画している。
 
また、砲術学校卒業後に教官を務める者も続出した。中には[[安東昌喬]]中将や[[山本五十六]][[元帥 (日本)|元帥]]、[[加来止男]]少将のように、偵察・観測・爆撃の効果を買って[[航空機]]に転出した教官や、{{要出典|範囲=[[相馬信四郎]]少将や[[波多野貞夫]]中将のように[[火薬]]製造術を研究する技官となった教官|date=2021年8月}}もいる。[[日中戦争|日華事変]]や[[太平洋戦争]]では陸戦も頻繁に行われ、沖縄を防衛した[[大田実]]中将や中国大陸各地で[[海軍陸戦隊|陸戦隊]]を統率した[[宮田義一]]中将などの陸戦のエキスパートも学生・教官として砲術学校に学んだ。
 
その他、[[海軍予備員|予備]][[少尉]]に任官予定の[[高等商船学校]]4年次在校中の[[海軍予備生徒]]に対しても、軍事実習学と称して初級士官として必要な教育を6ヶ月行った。