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'''高橋 謙介'''(たかはし けんすけ、[[1978年]][[5月30日]] - )は、[[兵庫県]]出身の[[陸上競技選手]]選手。専門は[[長距離走|長距離種目]]。[[報徳学園中学校・高等学校|報徳学園高校]]-[[順天堂大学]]-出身。[[トヨタ自動車陸上長距離部|トヨタ自動車]]に所属した
 
== 経歴 ==
[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]では、1年9区―2年9区―3年2区―4年9区に出場。2年次の[[第75回東京箱根間往復大学駅伝競走|第75回大会]]では自ら区間新記録(1時間09分17秒)の快走で駒澤大学を逆転し総合優勝。3年次の[[第76回東京箱根間往復大学駅伝競走|第76回大会]]ではライバル駒澤大学のエースで同郷の1年後輩にあたる[[神屋伸行]]とタイム差なしスタート・タイム差なしゴールの接戦(ともに1時間08分51秒で区間2位)を演じ、チームは総合2位。主将を務めた4年次の[[第77回東京箱根間往復大学駅伝競走|第77回大会]]では駒澤大学の[[高橋正仁]]に10km以上に渡る併走の末逆転を許すも自身も区間3位、トップと17秒差でタスキをつなぎ、チームも優勝している。
 
==== 学生時代 ====
[[2009年]]3月に行われた[[東京マラソン]]では、2時間11分25秒の自己ベストをマークし、日本人選手中2位、全体3位でゴール<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090322/oth0903221637029-n1.htm 【東京マラソン】3位にも「力を出し切った」高橋謙介] [[産経新聞|産経ニュース]] 2009年3月22日</ref>。同年8月にドイツのベルリンで行われる[[世界陸上]]マラソン代表の[[補欠]]代表となった<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/athletic/iaafwc/2009/text/200908060024-spnavi.html マラソン追加代表に佐藤敦、赤羽らが決定 陸上世界選手権 マラソン、競歩代表発表会見] スポーツナビ 2009年5月7日</ref>。
報徳学園高校時代は[[全国高等学校駅伝競走大会|全国高校駅伝]]に2回出場。1年時の第45回大会では4区区間2位でチームの3位入賞に貢献。3年時の第47回大会で1区区間4位(日本人3位)と流れを作り、チームを優勝に導く。
 
順天堂大学進学後はエースとして頭角を現し、[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]では1年9区―2年9区―3年2区―4年9区と4年連続出場。2年の[[第75回東京箱根間往復大学駅伝競走|第75回大会]]では自ら区間新記録(1時間09分17秒)の快走で駒澤大学を逆転し総合優勝。3年の[[第76回東京箱根間往復大学駅伝競走|第76回大会]]ではライバル駒澤大学のエースで同郷の1年後輩にあたる[[神屋伸行]]とタイム差な23kmに渡る激スタート・タイム差なしゴールの接戦い競り合い(ともに1時間08分51秒で区間2位)を演じ、チームは総合2位。主将を務めた4年の[[第77回東京箱根間往復大学駅伝競走|第77回大会]]では駒澤大学の[[高橋正仁]]に10km以上に渡る併走の末逆転を許すも自身も区間3位、トップと17秒差でタスキをつなぎ、チームも優勝している。
 
そのほか[[出雲全日本大学選抜駅伝競走|出雲駅伝]]・[[全日本大学駅伝対校選手権大会|全日本大学駅伝]]も4年連続出場。3年時の出雲駅伝6区、4年時の全日本大学駅伝8区で区間賞を獲得。4年時の出雲駅伝を含め、3度アンカーとして優勝のゴールテープを切っている。2年時には日本学生ハーフマラソンで優勝し、[[1999年夏季ユニバーシアード|1999年のユニバーシアード]]ハーフマラソン代表にも選ばれた。
 
==== 実業団時代 ====
トヨタ自動車入社後は大学の先輩で、自身が大学2年時に区間新記録を樹立した9区の前区間記録保持者でもある浜野健とともに主力として活躍。[[全日本実業団対抗駅伝競走大会|全日本実業団駅伝]]には7回出場したが、そのうち5回で準エース区間とされる5区を務め、区間一桁順位を3回記録している。
 
[[2007年]]の第61回[[福岡国際マラソン]]では日本人4番手の6位(2時間11分52秒)。
 
[[2009年]]3月に行われた[[東京マラソン]]では2時間11分25秒の自己ベストをマークし、日本人選手中2位、全体3位でゴール<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090322/oth0903221637029-n1.htm 【東京マラソン】3位にも「力を出し切った」高橋謙介] [[産経新聞|産経ニュース]] 2009年3月22日</ref>。同年8月にドイツのベルリンで行われる[[世界陸上]]マラソン代表の[[補欠]]代表となった<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/athletic/iaafwc/2009/text/200908060024-spnavi.html マラソン追加代表に佐藤敦、赤羽らが決定 陸上世界選手権 マラソン、競歩代表発表会見] スポーツナビ 2009年5月7日</ref>。
 
[[2009年]]9月に行われた[[ベルリンマラソン]]では、2時間13分00秒の9位に終わった。
 
2011年度をもって、トヨタ自動車陸上部長距離部を退部した。なお、自身が大学2年次に区間新記録を更新した9区の前区間記録保持者であった[[浜野健]]も退部している<ref>[http://gazoo.com/G-Blog/tmcdistancerunning/530750/Article.aspx 【トヨタ自動車陸上長距離部】退部者のご報告とコメント] トヨタ陸上長距離部 2012年3月21日</ref>。
 
トヨタ自動車退部後も各地の大会に出場しており、[[2012年]]の[[神戸マラソン]]では2時間21分13秒で優勝、[[2013年]]のしまだ大井川マラソンでも2時間21分15秒で優勝している。
 
==== レーススタイル ====
駅伝で数人の集団になると一人がペースメーカーになるのを嫌い、自分と相手が交代で集団を引っ張るように仕向けるというスタイルを持つ。
 
== 自己ベスト ==
2011年度をもって、トヨタ自動車陸上部長距離部を退部した。なお、自身が大学2年次に区間新記録を更新した9区の前区間記録保持者であった[[浜野健]]も退部している<ref>[http://gazoo.com/G-Blog/tmcdistancerunning/530750/Article.aspx 【トヨタ自動車陸上長距離部】退部者のご報告とコメント] トヨタ陸上長距離部 2012年3月21日</ref>。
[[5000メートル競走|5000m]]:13分46秒92([[2002年]] [[ゴールデンゲームズinのべおか]])
 
[[10000メートル競走|10000m]]:28分36秒60([[2008年]] 静岡県長距離記録会)
 
10マイル:46分35秒(2002年 [[熊本甲佐10マイル公認ロードレース大会|熊本甲佐10マイル公認ロードレース]])
 
[[ハーフマラソン]]:1時間01分54秒([[2005年]] [[名古屋ハーフマラソン]])
 
[[マラソン]]:2時間11分25秒([[2009年]] 東京マラソン)
 
== 脚注 ==