「東京箱根間往復大学駅伝競走」の版間の差分

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# 本人が関東学連の資格審査委員会によって処分を受けていないこと(内規第6条)<ref name="naiki"/>。
# 出場申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条)<ref name="naiki"/><ref group="注">青山学院大学の[[竹石尚人]]は4年生の第96回(2020年)大会を怪我で欠場。どうしても最後に走りたいという強い希望で内定していた企業への就職を辞退し、留年を選んで第97回大会に出場している。竹石の出場申込回数は2年生時の第94回、3年生時の第95回の2回であったため、参加資格を満たしていた。</ref>
なお、第68回(1992年)までは、28歳以下という年齢制限があったが、第69回(1993年)から撤廃されている<ref group="注">年齢制限に抵触した有名選手として、[[大八木弘明]]は、社会人を経て駒大学に入学したこともあり、自身が4年生時の大会に出場できなかった。</ref>。
 
==== 沿革 ====
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箱根駅伝の予選会は本競技会の2か月以上前に行われ、別に開催要項が定められている(内規第14条1項)<ref name="naiki"/>。予選会は[[陸上自衛隊]][[立川駐屯地]]内の滑走路を周回し、立川市の市街地を通過して、[[昭和記念公園]]内をゴールとするハーフマラソン(21.0975km) のコースを各校10名以上12名以下の走者が走って行われる<ref name="yosen" />。
 
前年の1月1日から予選会申込期日前日までの公認記録で、10000m34分00秒00以内の記録(トラック記録に限る)を有する選手のみに出場資格があるため<ref name="naiki"/>、この出場資格を有する者を補欠も含めて10人以上揃えなければならない<ref name="yosen">[http://www.kgrr.org/event/2018/kgrr/95hakone-yosenkai/youkou.pdf 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会 要項]</ref>。以前はこのような出場資格はなかったが、参加校の増加で予選会の段階である程度出場校を絞り込む必要が出てきたことから、このような資格が設けられた<ref group="注">なお第75回大会に初設定(5000m18分00秒00以内)。その後年々参加標準記録が引き上げられ、第9587回大会から5000m16分30秒00以内もしくは10000m34分00秒00以内」となった。さらに第95回大会から5000m参加標準が廃止され10000mのみとなった</ref>。
 
予選会では各校上位10名の合計タイムにより10校(記念大会では11校)を選出する<ref name="yosen"/>。
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||[[2009年]]||平成21年||[[第85回東京箱根間往復大学駅伝競走|第85回]]||東洋大学||初優勝||22||上武大学<ref group="注">上武大学の所属選手としては過去に選抜チームの一員として出場経験有り。</ref>
|style="text-align:left"|第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。<br />青山学院大学が過去最長となる33年りの出場。<br />城西大学が途中棄権〈8区〉。<br />関東学連選抜が9位に入ったほか、3位の日本体育大学が跳躍選手の<br />不祥事(大麻使用歴及び偽札製作)によりシード権が剥奪されたため、次年度の予選会枠が2つ増えた。
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||[[2010年]]||平成22年||[[第86回東京箱根間往復大学駅伝競走|第86回]]||東洋大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||rowspan="4"|19||rowspan="5"|-||
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一方、ハイペースに付いて来られない下位の大学にとっては、繰り上げスタートのリスクが非常に高くなっており、如何にタイム差を抑えて母校のタスキを繋ぎきれるかが焦点となっている。事実、高速化が顕著になった第88回と第90回から第95回までの計7大会は、復路の鶴見中継所(10区スタート地点)は4チーム以上が繰り上げスタートになっていた。同戸塚中継所(9区スタート地点)でも第88回と第90回から第95回までの計7大会は最低1チームは繰り上げスタートになっていた。さらに、第92回から第94回までの3大会は復路の平塚中継所(8区スタート地点)で繰り上げスタートが発生していた。
 
ただ、第96回では上位校が軒並み区間記録を更新したにも関わらず、下位の大学も健闘し、結果、繰り上げスタートは鶴見中継所での3チームにとどまった。最下位の筑波大学も11時間16分13秒と最下位の記録としては歴代最高タイムであり、各校の戦力も徐々に均衡するようになってきている。なお、筑波大学が本大会に出場したのは第70回記念大会(1994年)以来、26年りのことであったが、タイムは同じく最下位(20位)であり、第70回よりも30分以上速いものであった。続く第97回でも、繰り上げスタートは鶴見中継所での2チームにとどまった。
 
続く第97回でも、繰り上げスタートは鶴見中継所での2チームにとどまった。
 
=== 練習(試走)中の事故で死亡 ===
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* 緊張のあまり襷をせずに走り出して、あわてて戻ってきた選手もいた。-->
* 沿道で配られる読売新聞社と報知新聞社の紙製応援小旗には、近年懸賞応募券が付いていた。これは使い終わった小旗を観客が沿道に捨てるのを防ぐための工夫であった。ちなみに2007年の懸賞は1等から8等まであり、1等は「箱根ホテル小涌園 宿泊招待券」だった。なお2010年の応援小旗は布製で、読売新聞社の小旗は読売新聞の社旗デザインが染め抜かれ、上部に「第86回箱根駅伝」と記されている。
* 下述のように箱根駅伝を目標にする選手が多く、一度大学を卒業、実業団に入ったものの「箱根を走りたい」という思いだけで有力校に再入学し箱根を走った選手も多<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140104-00000008-sph-spo 【箱根駅伝】“最後の昭和生まれランナー”?東農大・山本、25歳で夢かなえた]{{リンク切れ|date=March 2018}}</ref>。
* 第79回(2003年)では、本番間近のころ、大学近くで[[万引き]]犯を見つけた専修大学の選手が「俺は絶対に箱根駅伝を走るんだ。どこまでも追い掛けてやる」と犯人を取り押さえ逮捕に貢献。この選手は実際に本番で走ったが腹痛で区間最下位に終わった。「前を行く選手までは捕まえられなかった」と新聞のネタにされたものの、一連の善行で知名度が上がり、その本番では「沿道から名前で呼んで応援してもらえて、とても嬉しかった」と喜んだ。
 
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*[[龍谷大学]]出身の[[高岡寿成]]は洛南高校時代、3年連続で全国高校駅伝に出場し、3年次に4区で当時の区間新記録を樹立する等ロードでの実績はあったことから、関東の大学からもスカウトを受けていたが全て断った。しかしトラック中心の練習の成果により、大学4年次には5000mの日本記録を樹立した。[[カネボウ]]に入社後も、3000m、5000m、10000mで日本記録を次々に樹立し、2002年の[[シカゴマラソン]]では日本記録を樹立。世界大会でのメダルこそ獲得できなかったものの、30代後半まで第一線で活躍を続けた。
*[[1988年ソウルオリンピック]]、[[1992年バルセロナオリンピック]]で4位入賞した[[中山竹通]]、そのバルセロナオリンピックで銀メダルに輝いた[[森下広一]]も箱根駅伝未経験者である。
*青山学院大学出身の[[橋本崚]]は、大学在籍時は全日本大学駅伝には2回出場したが、箱根駅伝は一度も走っていない。卒業後、[[GMOアスリーツ]]に入ってからは頭角を現し、2016年の[[防府読売マラソン]]で初優勝。2019年の[[マラソングランドチャンピオンシップ|MGC]]では5位に入っている。
 
箱根駅伝創設の目的は「'''世界に通用する長距離選手の育成'''」であるが、実際には多くの選手が箱根駅伝を最終目標としており、卒業後は実業団に進まず競技の第一線から退くのが現状であり区間賞・区間新記録を樹立した選手も例外ではない(中澤晃、[[鐘ヶ江幸治]]、[[高橋宗司]])。一方で、箱根駅伝という大きな目標があるからこそ、モチベーションを保って陸上競技を続けている選手が多い、という一面もあり、日本の男子陸上長距離界の裾野の拡大に箱根駅伝は貢献していると主張する者も多い。