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== 雲水 ==
[[禅宗]]では、行雲流水という句から、修行者を'''雲水'''(うんすい)と呼ぶ{{sfn|講座禅第二巻|1967}}。[[宋 (王朝)|宋]]史[[蘇軾]]伝に「文を作るは行雲流水の如く、初めより定質なし」とあることから、行雲流水の語は行く雲や流れる水のような大自然とおのずからなる無心無作のはたらきをいう{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=247}}。禅の修行者は一か所にとどまらず諸方に師を求めて行脚することから、行雲流水の句が禅の修行僧をさすようになった{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。そこから一般に、一定の[[道場|僧堂]]に留まって修行する修行者をも雲水という{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。雲水はまた、'''雲衲'''(うんのう:なお、衲は、雲水の着る破れ衣のこと)、'''衲子'''(のっす)、'''行脚僧'''ともいう{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。
[[禅宗]]では、行雲流水という句から、修行者を'''雲水'''(うんすい)と呼ぶ{{sfn|講座禅第二巻|1967}}。[
 
[宋 (王朝)|宋]]史[[蘇軾]]伝に「文を作るは行雲流水の如く、初めより定質なし」とあり、行雲流水の語は行く雲や流れる水のような大自然とおのずからなる無心無作のはたらきをいう{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=247}}。禅の修行者は一か所にとどまらず諸方に師を求めて行脚することから、行雲流水の句が禅の修行僧をさすようになった{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。そこから一般に、一定の[[道場|僧堂]]に留まって修行する修行者をも雲水という{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。雲水はまた、'''雲衲'''(うんのう:なお、衲は、雲水の着る破れ衣のこと)、'''衲子'''(のっす)、'''行脚僧'''ともいう{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=65}}。
 
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