「高嶋秀武」の版間の差分

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* 趣味は相撲観戦、読書、将棋としており、大相撲好きであるので、叔父が[[日本放送協会|NHK]]勤務だったことからその伝で、大相撲[[本場所]]の[[枡席]]券をもらって[[蔵前国技館]]で、朝から打ち出しまでずっと観戦していたこともあった<ref name="nikkansports"/>。子供の頃も、アナウンサーや行司の口真似をしたり、学校の友人を相手に相撲をとったり取り組みの再現をしていたこともあった。なお、友人によると「(高嶋は)技を使うから、小さい割に強かった」という<ref name="atto12">『"あっという間に"距離が縮まる伝え方』p.12 - 15</ref>。当時の大関(のちに横綱)[[吉葉山潤之輔|吉葉山]]の大ファンだったため、[[1953年|昭和28年]]に「吉葉山本人に自宅に来て欲しい」という内容の手紙を出したこともあった。その後、吉葉山から手紙の返事が届き、内容は「忙しくて、訪問は無理」というものだった。しかし、その後もメッセージカードなどが届いた。なお、アナウンサー志望になったのは「相撲の実況をしたい」と思ったことからである<ref name="nikkansports"/>。父親が亡くなった後、母に「将来どうするのか考えなさい」を言われたのを真剣だと感じとって「母は本気だ」と思って、それならアナウンサーになろうと考えるようになったという<ref name="atto12"/>。
* NHKアナウンサーの[[志村正順]]に「一声萬里」と記されたサインをもらったことがあり、これは今でも自分の宝物であるという<ref name="atto12"/><ref>『読むラジオ』p.28</ref>。
* アナウンサーになるのに当たっては、大相撲中継のあるNHK志望ではあったが、とにかく早くアナウンサーになりたかったことから大学4年生の秋に採用試験があったNHKよりも先に春に試験があったニッポン放送を受験し先に採用通知をもらったため、結局NHK受験することは無かった<ref name="atto12"/>。
* オールナイトニッポンのパーソナリティになったのは、編成局長に直訴した結果決まったことだった。前任の今仁哲夫が体調を崩したことで降板することになり、ちょうど後任を誰にするか検討していた時だったという<ref>『読むラジオ』p.5</ref>。
* スポーツアナウンサー時代、プロ野球実況中に[[しゃっくり]]が止まらなくなり、全国ネットで実況とともにしゃっくりの音が放送され、各局に「何の音か」という問い合わせが殺到した。またスポーツ紙の記者が何事かと様子を見に来たため、翌日の記事になってしまった<ref name="showup50-123"/>。また、実況放送中([[川崎球場]]での大洋対巨人戦)に居眠りしたこともあった。この前日『オールナイトニッポン』生放送終了後に[[糸居五郎]]と一緒に[[信越放送]]のイベントに出掛け、その日の夜は朝まで飲んで、実況担当当日は試合前に[[王貞治]]の特打ちを[[多摩川緑地広場硬式野球場|多摩川グラウンド]]で見学するというあまり寝てない状態だった上、放送前に食事までしたために結局放送中に眠気が来てしまい、当日の解説を務めていた[[豊田泰光]]に心配されたほどだった<ref name="showup50-123"/>。