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江戸時代末期の旗本
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2021年8月18日 (水) 10:25時点における版

松村 長為(まつむら ながため、生没年未詳)は江戸時代末期の旗本。通称は忠四郎。

嘉永7年(1854年)時点で勘定を務め、安政2年2月8日に下田奉行支配組頭に昇進、永々御目見以上の家格を与えられる。安政6年6月8日に神奈川奉行支配組頭に転じる。文久2年に賄頭次席、文久3年7月21日に代官となる。慶應3年12月24日に布衣を許された。[1]

慶應4年6月20日(1868年8月8日)、新政府によって武蔵知県事に任ぜられるが[2]、8月8日(9月23日)に病気を理由に依願免官となる。後任は古賀一平[3]

注釈

参考文献

  1. ^ 『徳川幕臣人名辞典』東京堂出版、2010年。ISBN 978-4-490-10784-5 
  2. ^ 復古記 明治元年6月20日 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  3. ^ 復古記 明治元年8月8日 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー