「大阪戦争」の版間の差分

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==ベラミ事件==
日本橋事件から1年9ヶ月後の[[1978年]][[7月11日]]、山口組組長の田岡一雄は、[[京都市]][[太秦]]の[[東映]]撮影所を訪れた帰りに[[三条駅 (京都府)|京阪三条駅]]前のクラブ「ベラミ」を訪れた。この時、田岡が「ベラミ」を時々訪れる情報を事前に掴み1ヶ月ほど前から通いつめて待ち伏せていた大日本正義団幹部・[[鳴海清]]によって田岡は[[狙撃]]された。
凶弾は田岡の首に命中して貫通銃創となり、奇跡的に一命を取り留めたものの銃撃事件は当時すでに巨大組織となっていた山口組のトップが命の危険に晒された、また、流れ弾で関係のない医師2人が重傷を負ったという意味で銃撃事件は社会に大きな衝撃を与えた<ref>田岡組長撃たれて重傷 医師二人も巻き添え『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月12日朝刊、13版、23面</ref>。
 
報復は直ちに開始され、事件後数時間のうちに(結果としてベラミ事件に関与していない)敵対組織に銃弾が撃ち込まれる事件が発生した<ref>力の対決、火を噴く 直ちに報復の銃弾 菅谷組幹部宅へ二発『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月12日夕刊、3版、11面</ref>。