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[[ファイル:Ordos Desert.png|thumb|270px|オルドス地方砂漠の位置。]]
{{改名提案|オルドス砂漠|t=ノート:オルドス盆地|date=2021年8月}}
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[[ファイル:Ordos Desert.png|thumb|270px|オルドス地方の位置。]]
[[ファイル:Ortos.png|thumb|270px|[[内モンゴル自治区]]におけるオルドス地方の位置。]]
'''オルドス地方'''([[モンゴル語]]:{{mongol|ᠣᠷᠳᠣᠰ}} Ordos、オルドスちほう、鄂爾多斯)とは、[[中国]]・[[内モンゴル自治区]]南部の[[黄河]]屈曲部で、西・北・東を黄河に、南を[[万里の長城]]に囲まれた地方。行政区分としてはイフ・ジョー(伊克昭)盟が2002年に[[オルドス市]]となり、オルドス地方の大半を占める。黄河対岸(北側)の河套平原なども含め、'''[[河套]]'''(かとう)ともいう。
 
'''オルドス砂漠'''(Ordos Desert)とは中国北西部の[[オルドス地方]]にある砂漠。
==概要==
大部分が海抜1500メートル前後の[[高原]]([[準平原]])で'''オルドス高原'''と呼ばれ、南側は[[黄土高原]]に続く。一部は[[ステップ (植生)|ステップ]]、大部分が[[砂漠]]で'''オルドス砂漠'''という。砂漠は大きく2つに分かれており、それぞれ'''クブチ(庫布其)砂漠'''、'''ムウス(毛烏素)砂漠'''という。面積はそれぞれ1万6千平方キロメートル、4万2千平方キロメートル。農業や牧畜が行われるが、[[砂漠化]]や[[土壌流失]]が激しい。年平均降水量は200~500mmほどだが、半分以上が[[梅雨]]や[[秋雨]]にあたる7~9月に降る。また、雨が多い年は平均の2~4倍の雨が降ることもあり、洪水や激しい土壌流失が起こる。
 
大部分が海抜1500メートル前後の[[高原]]([[準平原]])で'''オルドス高原'''と呼ばれ、南側は[[黄土高原]]に続く。一部は[[ステップ (植生)|ステップ]]、大部分が[[砂漠]]で'''オルドス砂漠'''というある。砂漠は大きく2つに分かれており、それぞれ'''クブチ(庫布其)砂漠'''、'''ムウス(毛烏素)砂漠'''という。面積はそれぞれ1万6千平方キロメートル、4万2千平方キロメートル。農業や牧畜が行われるが、[[砂漠化]]や[[土壌流失]]が激しい。年平均降水量は200~500mmほどだが、半分以上が[[梅雨]]や[[秋雨]]にあたる7~9月に降る。また、雨が多い年は平均の2~4倍の雨が降ることもあり、洪水や激しい土壌流失が起こる。
オルドスという地名は、[[明]]代以降この地に住み着いた[[モンゴル人]]の部族「[[オルドス部]]」に由来する。それよりはるか前、[[旧石器時代]]から人が住み、特に紀元前6世紀から2世紀にかけて遊牧騎馬民族による[[オルドス青銅器文化]]が栄えた。[[匈奴]]、[[趙 (戦国)|趙]]、[[秦]]、[[漢]]によって次々に征服され、南部には万里の長城が築かれた。その後も匈奴系や[[突厥]]系などの遊牧民が住み、遊牧民族王朝([[遼]]、[[西夏]]、[[元 (王朝)|元]]など)あるいは中華王朝([[唐]]、[[明]]など)による支配を受けた。[[清]]代から漢族が入植し、現在の住民は漢族が多い。
 
== 参考文献 ==