「遼河文明」の版間の差分

(→‎文化: 修繕)
 
2015年1月に合衆国科学アカデミー紀要に発表された中国科学院のXiaoping Yang(楊小平)、合衆国[[ニューメキシコ大学]]のLouis A. Scuderiと彼らの共同研究者による[[内モンゴル自治区]]東部の渾善達克砂丘地帯の堆積物の検討によれば、従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した<ref>[http://www.pnas.org/content/early/2015/01/02/1418090112.abstract Groundwater sapping as the cause of irreversible desertification of Hunshandake Sandy Lands, Inner Mongolia, northern China] 合衆国科学アカデミー紀要</ref>。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性が指摘されている<ref>[http://www.archaeology.org/news/2883-150109-mongolia-hongshan-jade New Thoughts on the Impact of Climate Change in Neolithic China] Archaeology誌解説記事</ref>。
 
遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨の[[Y染色体ハプログループ]]分析では、[[ウラル系民族]]で高頻度に観察される[[ハプログループN (Y染色体)|ハプログループN]]が60%以上の高頻度で認められる<ref name="Yinqiu 2013"> Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)[http://bmcevolbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2148-13-216 "Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. "] BMC 13:216</ref>{{独自研究範囲|date=2021年8月|ことから、遼河文明を担った集団は[[ウラル語族]]を話していた可能性がある。}}後の[[夏家店上層文化]]の時代になると、[[ハプログループO2 (Y染色体)|ハプログループO2]]や[[ハプログループC2 (Y染色体)|ハプログループC2]]へ交代したようである<ref name="Yinqiu 2013"/>。
 
== 遼河文明一覧 ==