削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
29行目:
[[530年]]、当時の北魏の実力者であった[[爾朱栄]]が孝荘帝によって殺害され、その後孝荘帝が爾朱栄の一族の手で殺害された後、爾朱栄の一族の[[爾朱世隆]](爾朱栄の従弟)らによって北魏の皇帝として擁立された。
 
しかし、宗室の傍系からの即位であり、また人望にも欠如していたため、爾朱世隆らによって[[531年]]に邙山の南にて広陵王[[元恭]](節閔帝)への禅譲の儀式を強要され<ref>魏書 』巻11 前廃帝紀「春二月己巳曄進至邙南世隆等奉王東郭之外禪讓禅譲禮,羣礼、群臣上表曰~」</ref>、帝位を廃された後、東海王に封じられた。翌[[532年]]に後難を除くべく、[[孝武帝 (北魏)|孝武帝]]に殺された。男子はなく、爵位が廃された。
 
時の朝廷に認められて即位した皇帝ではあったものの、後の[[元恭|前廃帝元恭]]や[[元朗 (北魏)|後廃帝元朗]]らとは異なり、[[魏書]]・[[北史]]のいずれにおいても本紀における掲載はされていない。
37行目:
=== 后妃 ===
*[[小爾朱氏|爾朱皇后]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 伝記資料 ==