「高台院」の版間の差分

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角田の反論の範囲を誤解させる
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* [[鎌倉時代]]から江戸時代にかけて調べうる限りでの女性名を集めたが、「'''ね'''」なる一字名はただの1人も存在していない。一方、「'''ねね'''」は鎌倉時代あたりから現れ、非常に頻繁に用いられる女性名である(同時代にも[[栄姫]]([[黒田長政]]継室)・[[禰々]]([[諏訪頼重 (戦国時代)|諏訪頼重]]室)・[[珠姫]]([[前田利常]]室)・[[南部直政]]室など複数見られる)。以上より、高台院の名は「ね」ではなく「ねね」の方が自然であろうと思われる。
 
*[[日本放送協会|NHK]]の[[大河ドラマ]]においては高台院が初めて登場した昭和40年([[1965年]])の『[[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]』以降、長年「ねね」が用いられてきたが、平成8年([[1996年]])の『[[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉]]』以降は、平成18年([[2006年]])の『[[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]]』を除いて{{Efn|当初は「おね」が使われる予定だったが、原作([[司馬遼太郎]]著)に忠実にするという理由で再び「ねね(実際は[[漢字]]表記の'''寧々''')」に戻された。}}劇中では「おね」の呼称が使われている。さらに、平成28年([[2016年]])の『[[真田丸 (NHK大河ドラマ)|真田丸]]』では「ねい」(表記は「寧」)が使われた。
 
== 一族 ==