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== 概要 ==
それまでの博覧会史上最大の約1200エーカーの敷地に、教育、芸術、科学といった「文明」の成果に関する16の展示をはじめ、農業、工業、漁業などの「自然」に関連する部門の展示が並べられ、展示館の最後には、人類学、社会経詩学、身体文化の展示が加えられた<ref name=miyatake>[https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34109/1/118_P45-93.pdf 博覧会の記憶 : 1904年セントルイス博覧会とアイヌ]{{sfn|宮武公夫, 北大文学研究科紀要, |2006-02-28</ref>}}。会場内に1576の建物がつくられ、会場内を走る鉄道は21キロメートルに及び、17の駅を建設、シカゴ・セントルイス間の無線電信の実験、飛行船や160台の自動車が出展された<ref name=kusumoto>{{Cite journal|和書|author=楠元町子|date=2002-2|title=万国博覧会と異文化交流--1904年セントルイス万博の事例を中心に|journal=異文化コミュニケーション研究|issue=5|pages=155-167|publisher=愛知淑徳大学大学院コミュニケーション研究科異文化コミュニケーション専攻・言語文学研究所|issn=13440837|url=https://hdl.handle.net/10638/2450 sfn|naid=120005038326 |ref=楠元2002}}</ref>
 
文物の展示だけでなく、[[マックス・ウェーバー]]や[[アンリ・ポアンカレ]]といった国際的に著名な学者も参加する国際会議も開催された<ref name=miyatake/>{{sfn|宮武公夫|2006}}。日本からは[[岡倉天心]]が講演した。人類学展示では、[[アフリカ]]の[[ピグミー]],[[アルゼンチン]]の[[パタゴン|パタゴニア巨人]]、北米や[[フィリピン]]の先住民に加えて、[[アイヌ]]が参加し、実際の生活を行なってみせた<ref name=miyatake/>{{sfn|宮武公夫|2006}}
 
博覧会場の南側には、「パイク」と呼ばれる娯楽地区が設けられ、巨大な[[観覧車]]のほか、チロル・アルプスとドイツ風レストラン,[[ボーア戦争]]の戦関シーンの再現、動物ショーなどに混ざって、オリエント風の見世物や日本の[[歌舞伎]]などが上演された<ref name=miyatake/>{{sfn|宮武公夫|2006}}。また、[[米西戦争]]の勝利で1888年に米国支配となったフィリピンの[[植民地]]展示が行なわれ、広大な敷地に40の部族からなる1200人のフィリピン先住民が集められた<ref name=miyatake/>{{sfn|宮武公夫|2006}}
 
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"World's Fair, St. Louis, 1904." (Birdseye view of the 1904 Worlds Fair).jpg|会場全体
Ground Plan of the Louisiana Purchase Exposition. Compliments of St. Louis Union Trust Company. (1904 World's Fair).jpg|地図
Louisiana Purchase Exposition St. Louis 1904.jpg|博覧会の政府の建物(David R. Francis, The Universal Exposition of 1904)
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== 日本の参加 ==
米国からの参加要請により、1902年に公式参加を決定、総裁に[[平田東助]]、のち[[清浦奎吾]]、副総裁に[[松平正直]]、事務局長に[[手島精一]]、評議員に[[福羽逸人]]、[[久留正道]]らが就任した{{sfn||楠元2002}}<ref name=kusumoto/hata><ref{{Cite namejournal|和書|author=畑智子 |title=hata>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/65/532/65_KJ00004223706/_pdf セントルイス万国博覧会における「日本」の建築物]畑智子、 |journal=日本建築学会計画系論文集 |issn=1340-4210 |publisher=日本建築学会 |year=2000 |volume=65 |issue=532号,231−238,2000年6月 |pages=231-238 |naid=110004655974 |doi=10.3130/aija.65.231_1 |url=https://doi.org/10.3130/aija.65.231_1}}</ref>。展示面積は国力に比例していたため、日本は割り当てられていた敷地の拡大を交渉し、前回のパリ万博の3倍の27万平方フィートを獲得、日本館専用の会場のほか、教育、美術、工業、工藝、通運、採掘及冶金、農業、林業漁業及狩猟、電氣の9館で展示を行なった<ref name=kusumoto/>{{sfn||楠元2002}}。専用会場には、本館と日本庭園のほか、事務所館、眺望亭、台湾館、売店、喫茶店などが造られた<ref name=hata/>。
 
日本館は博覧会終了後、タカジアスターゼやアドレナリンの発明者でアメリカで成功していた[[高峰譲吉]]に譲渡され、[[サリバン郡 (ニューヨーク州)]]メリーウォルドにある高峰の所有地内に移築され、夏の別荘「松楓殿」として使用された<ref name=aoyagi>[https://books.google.co.jp/books?id=fY2H_PRnMvAC&printsec=frontcover#v=onepage  Jokichi Takamine (1854-1922) and Caroline Hitch Takamine (1866-1954) ]William Shurtleff, Akiko Aoyagi, Soyinfo Center, 2012, page:Jokichi Takamine10</ref>。高峰が没した翌年妻が売却し、以降売買が繰り返され、[[タキヒョー]]の所有となった<ref>[http://www.npo-takamine.org/contribution/03.html  「松楓殿」今昔]NPO法人高峰譲吉博士研究会、</ref>。
 
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Japanese lady and child walking over stones in Lake (Fair Japan) (1904 World's Fair).jpg|日本庭園を歩く女性と子供
"Ainu Group" (Aborigines of Japan from the Island of Hokkaido or Yezo, Department of Anthropology, 1904 World's Fair).jpg|博覧会側から人類学上の研究のためとしてアイヌの招聘を要請され、経費は博覧会持ちで3家族と単身男性から成る9人のアイヌを渡米させた。人選は[[フレデリック・スタール]]と[[ジョン・バチェラー]]が行なった。
Ainu Group from Japan at their lodge in a Department of Anthropology exhibit at the 1904 World's Fair.jpg|スタールが北海道で買い求めたアイヌの家が2軒移築され、ここで8か月暮らした。工芸品が人気を集め、多額の収入を得た。
"The Ainu Family." (Taken during the 1904 World's Fair) (cropped).jpg|[[平取村]]から来た平村一家。当時夫婦ともに30代で娘は4歳。
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|date=2000年(平成12年)|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=楠元町子 |date=2002-2 |title=万国博覧会と異文化交流 : 1904年セントルイス万博の事例を中心に |journal=異文化コミュニケーション研究 |issue=5 |pages=155-167 |publisher=愛知淑徳大学大学院コミュニケーション研究科異文化コミュニケーション専攻・言語文学研究所 |issn=13440837 |url=https://hdl.handle.net/10638/2450 |naid=120005038326 |ref={{harvid|楠元2002}}}}
* {{Cite journal|和書|author=宮武公夫 |title=博覧会の記憶 : 1904年セントルイス博覧会とアイヌ |journal=北海道大学文学研究科紀要 |issn=13460277 |publisher=北海道大学文学研究科 |year=2006 |volume=118 |pages=45-93 |naid=110006689096 |url=https://hdl.handle.net/2115/34109 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=楠元町子 |title=セントルイス万国博覧会における日本の展示品と評価 |journal=愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告 |issn=18810373 |publisher=愛知淑徳大学大学院現代社会研究科 |year=2007 |issue=2 |pages=135-147 |naid=120005038055 |url=https://hdl.handle.net/10638/1338 |ref=harv}}
 
== 脚注 ==
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<references />
 
== 関連項目 ==
* [[フェリス・ホイール]]
* [[国際博覧会]]
* [[セントルイスオリンピック]]
== 外部リンク ==
{{commons|Category:Louisiana Purchase Exposition}}
*[https://hdl.handle.net/10638/1393 万国博覧会と中国 : 1904年セントルイス万博を中心に ]楠元町子、愛知淑徳大学現代社会学部論集 第10号、2005-03-03
* [http://www.bie-paris.org/site/en/1904-saint-louis Expo 1904 page at BIE](英語)
* [http://expomuseum.com/1904/ Expo 1904 page at ExpoMuseum](英語)
* [https://archive.org/details/handbookjapanan00unkngoog Handbook of Japan and Japanese exhibits at World's fair, St. Louis, 1904](英語) - 日本の展示についての解説書
* [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801778  聖路易万国博覧会本邦参同事業報告. 第1編][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801779  第2編](農商務省, 1905)
* [https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem2007.pdf  アイヌ文化と私-祖父・辺泥五郎の足跡をたどって]近森聖美、2007 - 辺泥五郎は派遣されたアイヌの一人
 
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[[Category:アメリカ合衆国の国際博覧会]]
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