「三輪根麻呂」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
→‎出自: 修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
29行目:
「[[大神氏|三輪君氏]]」は[[大和盆地]]東南部を根拠地にした氏族で、『[[古事記]]』の[[崇神天皇]]の条に[[三輪山]]の伝説が掲載されており、同様の記述は『[[日本書紀]]』巻第五の崇神天皇7年2月15日条と8年12月20日条にも見られる。『書紀』巻第一の神代上第8段には[[大国主|大己貴神]]と大三輪の神との対話がのせられており、[[賀茂氏#地祇系|賀茂君]]と共に大三輪の神の子孫だとしている。『[[新撰姓氏録]]』「[[大和国]]神別」には、「[[スサノオ|素佐能雄命]]六世孫[[大国主]]之後也」とある。
 
『書紀』巻第十四には、[[御馬皇子]]が三輪君身狭の許に身を寄せようとしたとあり、根麻呂の近親一族としては、巻第二十、第二十一に、[[敏達天皇]]の側近であった曾祖父の[[三輪逆]]のことが述べられている。そのほか、巻第二十三の[[舒明天皇]]8年([[636年]])3月条に大伯父[[三輪小鷦鷯|小鷦鷯君]]、巻第二十四[[山背大兄王]]の従者従兄弟の[[三輪文屋|文屋君]]、巻第二十五の[[孝徳天皇]]の[[大化]]元年([[645年]])7月10日条[[三輪東人|三輪栗隈君東人]]、大化元年8月条・5年5月条に父の[[三輪色夫|三輪君色夫]]などの名があげられている。
 
== 経歴 ==