「欠史八代」の版間の差分

m
(→‎非実在説: 意味がよく分からず、出典内容と違う説明だったところを正確に修正。)
欠史八代の天皇を非実在と考える代表的な根拠は以下の通り。
 
これらの八代の天皇は古代[[中国]]の革命思想である[[辛酉革命]]に合わせることで、[[皇室]]の起源の古さと権威を示すために偽作したという推測がある。「辛酉」とは[[干支]]のひとつで中国では[[革命]]の年と考えられ、古来より21回目の辛酉の年には大革命が起きる([[讖緯]]説)とされてきた。この見解は[[江戸時代]]に[[国学者]][[伴信友]]によって指摘され<ref name="大津2017p117">[[#大津 2017|大津 2017]], p. 117</ref>、明治期に[[[[那珂通世]]によって通説として打ち立てられた<ref name="大津2017p117"/>。那珂通世の結論は、推古天皇9年(601年)、辛酉の年を起点として、一蔀遡った前660年、辛酉の年が神武天皇元年として設定されたというものである<ref name="遠藤2012pp63_64">[[#遠藤 2012|遠藤 2012]], pp. 63-64</ref><ref name="大津2017p117"/> 2 - 9代に限らず古代天皇達はその寿命が異常なほど長い。たとえば神武天皇は『古事記』では137歳、『日本書紀』では127歳まで生きたと記されており、このことは創生期の天皇の非実在性を強く示唆するものである。これは、後述する[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]]発見の[[稲荷山古墳出土鉄剣|金錯銘鉄剣]]に記された銘文などから、古代日本の系譜情報は元来直系継承の形式をとっていたと見られ、『日本書紀』編纂時に紀年を設定するよりも先に系譜が成立していたことから、それと整合させるためにそのようにせざるを得なかったとも考えられる<ref name="関根2020p193">[[#関根 2020|関根 2020]], p. 193</ref>。
 
『日本書紀』における初代神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と、10代[[崇神天皇]]の称号である『御肇國天皇』はどちらも「ハツクニシラススメラミコト」と読める。これを「初めて国を治めた天皇」と解釈すれば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。このことから、本来は崇神が初代天皇であったが「帝紀」「旧辞」の編者らによって神武とそれに続く八代の系譜が付け加えられたと推測することができる<ref>{{Harv|直木|1990}}P20</ref>。また、神武の称号の「[[天下]]」という抽象的な語は、崇神の称号の「国」という具体的な語と違って形而上的な概念であり、やはり後代に創作された疑いにつながる。