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[[東魏]]の権臣の[[高歓]]の次男に生まれる。母は正妻の[[婁昭君]]。[[北魏]][[孝武帝 (北魏)|孝武帝]]の[[高皇后 (北魏孝武帝)|皇后高氏]]・[[高澄]]・東魏[[孝静帝]]の[[高皇后 (東魏)|皇后高氏]](太原長公主)・[[孝昭帝|高演]](孝昭帝)・[[武成帝|高湛]](武成帝)・[[高済]](博陵王)の同母兄弟にあたる<ref>『北斉書』巻4「顕祖文宣皇帝諱洋、字子進、高祖第二子、世宗之母弟。」</ref>。容貌は醜く、内気で無口であった。幼い頃は才覚が人に気づかれず、見た目は茫洋としていて兄弟や周りから笑われていたが、父親の高歓は真価を見抜いていた。
 
兄の[[高澄]]が[[蘭京]]によって殺害されると、後を継いだ高洋は蘭京を誅殺して兄の仇を討った。以後、着実にその後継者としての地位を固め、東魏の帝位にあった元善見により[[丞相]]とされ斉王に封じられた。しかし高洋は、父が立てた傀儡でしかなかった元善見の臣下としての地位に満足せず、[[武定 (東魏)|武定]]8年([[550年]])、25歳の時に元善見に[[禅譲]]を迫って帝位に即き、北斉を建てた。加えて552年、中山王に降封された元善見に人を使わし、3人の息子と共に殺害させた上で孝静皇帝の諡号を贈った<ref>資治通鑑 164巻「齊主飲公主酒,使人鴆中山王,殺之,並其三子,謚王曰魏孝靜皇帝,葬於鄴西漳北。其後齊主忽掘其陵,投梓宮於漳水。」</ref>。のみならず魏の[[宗室]][[拓跋氏|元氏]]の一族は、後にことごとく殺されている<ref>[[宮崎市定]]『大唐帝国 <small>中国の中世</small>』 [[中公文庫]] ISBN 4122015464、301p</ref>
 
即位当初は政務に力を注ぎ、[[楊愔]]を登用して州郡の削減と官僚の削減、加えて富国強兵政策を実施し、農業・塩鉄業・窯業を中心にした経済を背景に、北斉を短期間のうちに国家として成長させた。軍事面では[[柔然]]・[[契丹]]・[[高句麗]]などを攻撃し、勢力範囲の拡大も実現している。
 
しかししばらくすると政務を省みなくなり、酒色に溺れ、宮城の造営で10万の民を徴用するなど奢侈を極めるようになり、民衆生活を圧迫した。また文宣帝は、自らは漢化した[[鮮卑|鮮卑族]]でありながら、その劣等感を常に持っていたために、[[漢民族|漢族]]の大量殺害を実行し、同胞である漢化した鮮卑貴族の利益を維持した。
 
*死の同年である[[559年]]、文宣帝高洋は北魏の旧皇族である[[韶]]に対し、「後漢の光武帝劉秀はどうして、漢の王朝を中興し得たのだろうか?」と問うた<ref>北斉書 28巻 元韶伝「文宣謂韶曰:「漢光武何故中興?」~」</ref>。元韶が「(漢の皇族である)劉が、王莽によって殺し尽くされなかったゆえでしょう」と答えると、これを受けて同年5月、高洋は元一族の末裔や北魏時代の高官らの虐殺を大々的に行い<ref>[[宮崎市定]]『大唐帝国 <small>中国の中世</small>』 [[中公文庫]] ISBN 4122015464、301p</ref>、これにより721人が死亡した。死体は全て首都鄴の近くを流れる漳水に捨てられ、漳水で獲れた魚から頻繁に人の爪が見つかるようになったため、以降鄴の人々は長らく魚を食べなくなったという<ref>『北斉書』巻28 元韶伝</ref>。
 
腐敗した生活は寿命にも影響を与え、34歳で崩御した。文宣帝の死後は北斉内部での混乱がいっそう強まっていった。
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*555年、猜疑心の強い文宣帝は寵妃の[[薛嬪]]と清河王[[高岳 (北斉)|高岳]]の内通を疑い、高岳を殺害した上、薛嬪の姉を[[鋸引き]]の刑で惨殺した。後に薛嬪をも殺し、その骨で[[琵琶]]を作らせた<ref>『[[資治通鑑]]』巻166「帝納倡婦薛氏於後宮~」</ref>。
*558年、文宣帝はたびたび諫言を行ってきた三弟の永安王[[高浚]]と、朝廷への参内命令を拒否して逃げようとした七弟の上党王[[高渙]]を牢に入れ、その後火を付けて処刑した<ref>『北斉書』巻10 列伝第2</ref>。
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*死の同年である[[559年]]、文宣帝は北魏の旧皇族である元氏の末裔や北魏時代の高官らの虐殺を大々的に行い、これにより721人が死亡した。死体は全て首都鄴の近くを流れる漳水に捨てられ、漳水で獲れた魚から頻繁に人の爪が見つかるようになったため、以降鄴の人々は長らく魚を食べなくなったという<ref>『北斉書』巻28 元韶伝</ref>。
*僕射の[[崔暹 (北斉)|崔暹]]が卒去した時、その死を大いに悲しんだ。ある時、文宣帝はその未亡人の李氏に対して問うた。
*:「崔暹のことを思い出すか?」