「朝日山 (佐賀県)」の版間の差分

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'''朝日山'''(あさひやま)は[[佐賀県]][[鳥栖市]]村田町にある[[標高]]132.9メートルの山。[[九千部山]]麓の[[地溝]]状低地を北に挟み、平地に孤立している。[[結晶片岩]]による基盤が長年の侵食によりなだらかになり、[[段丘]]状の小山として残ったものである。山からは[[筑後川]]水系の西田川が発し、南に向かって流れている。
 
古代から交通の要衝にあり[[狼煙]]台や[[城塞]]([[朝日山城 (肥前国)|朝日山城]])などが築かれ、しばしば戦場となった。現在は朝日山公園として整備されている他、麓には[[ブリヂストン]]が[[ゴルフ場]]を開設している。
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=== 中世 ===
中世になると北九州は[[少弐氏]]・[[大内氏]]による攻防の舞台となり、朝日山には[[1334年]]([[建武]]元年)少弐氏の庶流[[朝日氏|朝日資法]]が城を築き初代城主となった([[朝日山城 (肥前国)|朝日山城]])。その後も朝日氏が代々城主を務めたが、8代頼貫が享禄年間に討ち死に([[大内義興]]との戦いで戦死したとも、大内氏に服属したものの[[田手畷の戦い]]で討たれたとも伝わる)し、朝日山城は一時大内氏の代官が治めた。しかし、田手畷の戦いで勝利した少弐氏が大内氏の勢力を追い出すと、此の頃大内から少弐側に寝返った[[渋川義長]]が城に入ったが、[[1532年]]([[天文]]3年)には反攻してきた大内氏に破れ討たれた。その後は[[勝尾城]]を本拠とする[[筑紫氏]]が支城として整備改修するが、[[1586年]]([[天正]]14年)に北上してきた[[島津氏|島津軍]]に敗れ、城は廃された。
 
なお、山名については、江戸期の書物「肥前古跡縁起」に以下の記述がある。
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=== 近代 ===
[[江戸時代]]では[[鍋島藩]]の御狩場であり、幕末の頃には積極的に西洋技術を取り入れた鍋島藩の洋式調練場としても利用された。[[明治]]以降では、[[1874年]](明治7年)の[[佐賀の乱]]で、佐賀軍が陣を敷いて攻め寄せる官軍を迎え撃ったほか、[[1902年]](明治35年)の特別大演習、[[1916年]]([[大正]]5年)の陸軍大演習で、それぞれ[[天皇]]がこの山から演習の視察をおこなっている。
 
=== 現代 ===
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== 周辺の主な施設 ==
* [[九州新幹線]]・[[長崎本線]][[新鳥栖駅]]
* [[国道34号]]
* [[佐賀県道31号佐賀川久保鳥栖線|県道31号佐賀川久保鳥栖線]]
* [[陸上自衛隊]][[鳥栖分屯地]]
* [[九州龍谷短期大学]]