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== 概要 ==
1945年4月1日、[[沖縄戦]]で米軍は[[北谷町|北谷村]]と[[読谷村]]の海岸から沖縄島に上陸し、この地域一帯が島での最初の米軍拠点となった。そのうちの一つ、キャンプ桑江は、沖縄の西海岸、北谷町の平坦地に位置し、海軍、海兵隊、空軍等が宿舎、事務所、またアジア最大級の米海軍病院が置かれ (2013年に海軍病院はキャンプ瑞慶覧に移転) 、何か米軍関連の事件や事故があればこの病院に搬送されることが多い。そのほかに、中学校や住宅地区、また[[国道58号]]沿いに、野球場、サッカー場、テニスコートなどの遊興施設がそろっている。
[[ファイル:Hospital on Camp Lester officially closes (03.25.2013).webp|サムネイル|3月25日、キャンプ桑江の海軍病院は閉鎖し正式にキャンプ瑞慶覧に移転した。]]
 
=== 基地機能 ===
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* 使用部隊名:在沖米海軍病院
* 使用主目的:宿舎、管理事務所及び病院<ref>沖縄県ホームページ「FAC6043キャンプ桑江」</ref>
{{Double image aside|right|North Part of Camp Lester Reverted in.png|160|South Part of Camp Lester.png|160|2003年、キャンプ桑江の北側部分が返還された。}}
== 返還計画 ==
北谷町は[[那覇市]]と[[沖縄市]]を結ぶ要所に位置しており、中南部都市圏整備において重視される地域の一つである。しかしながら米軍上陸地点となった北谷の海岸は北から南まで[[沖縄の米軍基地|米軍基地]]が密集した状態にある。現在も北谷町の52%以上の面積を米軍基地が占有している<ref>沖縄県基地対策課「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」令和2年3月</ref>。
 
[[沖縄戦]]後、[[嘉手納飛行場|嘉手納基地]]と[[陸軍貯油施設]]が北谷村の南北を大きく分断したため、1948年12月4日に分村し、北部は嘉手納村 (現在の[[嘉手納町]]) となった。さらにキャンプ桑江と[[キャンプ・フォスター|キャンプ瑞慶覧]]によって東西に分断されているため北谷町は地理的に東西に分断された形となり、米軍基地は北谷町の都市開発を著しく阻害してきた。そのため北谷町はキャンプ桑江の土地の返還を強く求めてきた。{{Double image aside|right|North Part of Camp Lester Reverted in.png|160|South Part of Camp Lester.png|160|2003年、キャンプ桑江の北側部分が返還された。}}
 
=== 北側地区 ===
* 区域 (1) キャンプ桑江 北側地区: 38.4ha