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'''カステラ'''(かすていら・家主貞良・加須底羅)は、[[鶏卵]]を泡立てて[[小麦粉]]、[[砂糖]]([[水飴]])を混ぜ合わせた生地を[[オーブン]]で焼いた[[菓子]]の一つである。
'''カステラ.'''
 
(かすていら・家主貞良・加須底羅)は、[[鶏卵]]を泡立てて[[小麦粉]]、[[砂糖]]([[水飴]])を混ぜ合わせた生地を[[オーブン]]で焼いた[[菓子]]の一つである。
 
== 種類 ==
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=== 日本における歴史 ===
[[ファイル:Fukusaya Castella.JPG|thumb|right|200px|[[福砂屋]]のカステラ]]
[[1846年]]([[弘化]]3年)の[[川北温山]]『原城紀事』に、江戸時代中期に書かれた『耶蘇天誅記』からの引用として、[[1557年]]([[弘治]]3年)に[[肥前国|肥前]]唐津で布教を進めた宣教師が作った菓子類が挙げられており、その中に「角寺鐵異老」(カステイラ)がある<ref> {{国立国会図書館のデジタル化資料|1021086|『長崎夜話草』}}、p36</ref>。[[1626年]]([[寛永]]3年)の[[小瀬甫庵]]『[[太閤記]]』にも、宣教師が布教の際に「かすていら」などの南蛮菓子をふるまっていたことが書かれている。
日本で初めてカステラを焼いた具体的な人物としては、[[府内 (豊後国)|豊後府内]]に病院を設立して病人に滋養食として牛乳や牛肉を与え、[[大友義鎮|大友宗麟]]を南蛮料理で饗応したこともある宣教師[[ルイス・デ・アルメイダ]]<ref>「修道士のカステラ」『カステラ読本』</ref><ref>東野利夫『南蛮医アルメイダ』柏書房、1993年。</ref>や、[[1592年]]([[文禄]]元年)に肥前名護屋で秀吉に南蛮料理や南蛮菓子をふるまった史料の残る[[村山等安]]<ref>「長崎代官のカステラ」『カステラ読本』</ref>などが候補に挙げられるが、明確な史料はない。