「チャン・チョン・キム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
23行目:
 
1945年6月、チャン・チョン・キム内閣は国号を[[ベトナム帝国]]、国歌をダンダンクン''Đăng đàn cung''(登壇宮)、国旗を金地の長方形の中央に濃い赤で離の卦を配したものに定めた。
[[File:Mr Trần-trọng-Kim le nouveau premier ministre de l'Empire du Vietnam.jpg|thumb|right|222px|1945.]]
 
チャン・チョン・キム政府は実質的にインドシナを占領している日本軍の保護下にあった。日本は大東亜の看板を掲げて、「黄色人種の諸民族を助けて白人の植民地支配を倒し、共に栄える地域を作り上げる」と宣伝したが、実際は日本軍閥が(白人に代わって)新たな占領を行うための詭弁に過ぎなかった。日本の役割は、日本人の計画に従えば、経済の領域に留まらず軍事の防衛と域内各国の内政指導に及び、南方アジアは(日本の)市場・物資供給地とするものだった。それゆえに多くの人はチャン・チョン・キム政府は親日傀儡政府に過ぎず、実権は無く民衆の支持を得られないとみなした。[[1945年ベトナム飢饉|乙酉年(1945年)の飢饉]]に象徴されるように、チャン・チョン・キム政府は努力しようとしたものの、手段も人的資源も日本軍に握られて状況を改善することができなかった。日本軍による占領は、初めはフランスからの解放として迎えられたものの、日本の戦況が不利になるにつれて段々と余裕が無くなっていき、さらには上記の食糧難などによって少しずつベトナム人民の不満が募っていった。