「吉岡直綱」の版間の差分

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'''吉岡 直綱'''(よしおか なおつな、生年不詳~1604)<ref>高柳光壽、松平年一『戦国人名辞典増訂版』3版、吉川弘文館、1973年、266p</ref>は、[[福住道祐安土桃山時代]][[吉岡伝剣客]]』に登場する[[剣客染物家]]。[[通称]]は源左衛門。別名に兼房、清次郎重堅。[[号]]は憲法(けんぼう。拳法、憲房とも)。諸説あるが、[[吉岡直重]]は剣の師匠<ref>『戦国人名辞典増訂版』</ref>、あるいは弟、[[吉岡重賢]]は末弟(従弟の説もある)に当たる。
 
== 略歴 ==
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宮本武蔵の養子である[[宮本伊織]]の建立した[[小倉碑文]]及びそれを原資料とした、歴代の二天一流師範が記した武蔵の伝記『[[丹治峯均筆記]]』、『[[武公伝]]』などによれば[[慶長]]9年([[1604年]])に吉岡清十郎なるものが武蔵と試合をして重傷を負ったとも打ち殺されたとも伝えられる。ただし吉岡清十郎が直綱を指すという明確な証拠はない。
 
『戦国人名辞典増訂版』によると、[[慶長9年]]6月21日、京都新内裏で能楽を観ていた際に警備と諍いを起こして殺され、梟首されたという。<ref>『戦国人名辞典増訂版』</ref>
 
== 備考 ==
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== 関連項目 ==
*[[憲法色]]・・・吉岡憲法が考案したと言われる。
 
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