「マヨネーズ」の版間の差分

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歴史 起源 スペイン説、フランス説記述
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現代最も使用される名称であるのは {{fr|''[[:fr:Mayonnaise|Mayonnaise]]''}} という[[フランス語]]であるが、語源に関しては多くの説がある。
 
最も有力とされている地名だけでも、[[地中海]]にある[[メノルカ島]]の[[マオー|マオン]]で作られたため、「{{es|Mahonesa}}」(意味:マオンの)という[[スペイン語]]が語源であるとされている。マオン説では、[[18世紀]]半ばに小説『[[三銃士]]』でも知られる[[フランス]]宰相[[リシュリュー]]の甥の息子[[ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ]]が、[[七年戦争]]の際に名付けたとされている([[#スペイン|詳細後述]])。当時の名称は {{fr|''salsa de Mahón''}} (マオンのソース)であって、マヨネーズの名で料理に登場するのは、[[19世紀]]中ごろである<ref name="fukuba" />
 
マオン説では、[[18世紀]]半ばに小説『[[三銃士]]』でも知られる[[フランス]]宰相[[リシュリュー]]の甥の息子[[ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ]]が、[[七年戦争]]の際に名付けたとされている。メノルカ島[[マオー|マオン]](Mahón)が起源とする伝承によると、18世紀中頃、当時[[イギリス]]に占領されていた[[ミノルカ島]]を、リシュリュー公率いる[[フランス軍]]が攻撃し(1756年、[[ミノルカ島の海戦]])、サン=フェリペ要塞に立籠もるイギリス・[[スペイン]]連合軍を包囲した。布陣を終えたリシュリュー公は、当地の飯屋に[[食事]]を求めたが、そこで出された、卵と油とレモン果汁を使ったドロっとしたソースをかけた肉料理を激賞した公が、そのソースを[[パリ]]に伝えた<ref name="fukuba">福場博保、小林彰夫『調味料・香辛料の事典』朝倉書店1991年,p348</ref>。当時の名称は {{fr|''salsa de Mahón''}} (マオンのソース)であって、マヨネーズの名で料理に登場するのは、[[19世紀]]中ごろである<ref name="fukuba" />。
 
『[[世界ウルルン滞在記]]』([[毎日放送]])では、地中海の[[マヨルカ島]]がマヨネーズの語源として紹介されていた。
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昭和30年代以降、キユーピー以外にもマヨネーズ製造へ参入するメーカーが現れる。撤退したメーカーもあったが、後発メーカーの[[味の素]]は、卵黄タイプのものを発売していたキユーピーに対抗して、全卵タイプのマヨネーズを1968年(昭和43年)に発売する。味の素製品の発売は、その後の日本のマヨネーズ市場が拡大する結果となった。
 
=== スペイン ===
マオン説では、[[18世紀]]半ばに小説『[[三銃士]]』でも知られる[[フランス]]宰相[[リシュリュー]]の甥の息子[[ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ]]が、[[七年戦争]]の際に名付けたとされている。メノルカ島[[マオー|マオン]](Mahón)が起源とする伝承によると、18世紀中頃、[[七年戦争]]で、当時[[イギリス]]に占領されていた[[ミノルカ島]]を、リシュリュー公率いる[[フランス軍]]が攻撃し(1756年、[[ミノルカ島の海戦]])、サン=フェリペ要塞に立籠もるイギリス・[[スペイン]]連合軍を包囲した。布陣を終えたリシュリュー公は、当地の飯屋に[[食事]]を求めたが、そこで出された、卵と油とレモン果汁を使ったドロっとしたソースをかけた肉料理を激賞した公が、そのソースを[[パリ]]に伝えた<ref name="fukuba">福場博保、小林彰夫『調味料・香辛料の事典』朝倉書店1991年,p348、p.348</ref>。当時の名称は {{fr|''salsa de Mahón''}} (マオンのソース)であって、マヨネーズの名で料理に登場するのは、[[19世紀]]中ごろである<ref name="fukuba" />。
 
=== フランス ===
上記のスペイン起源説に対し、1742年『フレンチ・クックブック』([[フランソワ・マリン]]著)に現代のマヨネーズと似たソースレシピが創作ソースとして掲載されている。
 
== 細菌学的観点から ==