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'''絵沢 萠子'''(えざわ もえこ、[[1939年]][[3月28日]] - )は、日本の[[俳優|女優]]。本名;'''楠 智江'''、旧姓;'''松田'''。旧芸名;'''松田 友絵'''。[[兵庫県]][[神戸市]]出身。特技は[[日舞]]、[[バレエ]]、[[三味線]]。夫は[[1971年]]に結婚した[[楠年明]]。
 
== 人物・来歴・人物 ==
[[兵庫県立西宮高等学校]]、[[関西学院大学]][[文学部]]英文科卒業。中学生の頃から女優を志し、高校の文化祭では『[[修禅寺物語 (戯曲)|修禅寺物語]]』の楓役を演じた。大学の[[卒業論文]]は[[テネシー・ウィリアムズ]]であった
 
中学生の頃から女優を志し、高校の文化祭では『[[修禅寺物語 (戯曲)|修禅寺物語]]』の楓役を演じた。
 
大学の[[卒業論文]]は[[テネシー・ウィリアムズ]]であった。
 
大学卒業後は関西で会社勤めをしながら、[[劇団くるみ座]]の演劇教室に入る。[[1963年]]、『[[リチャード三世 (シェイクスピア)|リチャード三世]]』で初舞台を踏む。
 
[[1968年]]に仕事を辞め、くるみ座も退団。[[劇団四季]]に合格したが、上京に備えて発声練習に通っていた頃に[[新藤兼人]]の監督映画『[[強虫女と弱虫男]]』でデビュー。[[1969年]]に上京、[[1970年]]には俳優小劇場に入団。[[1971年]]、結婚
 
[[1969年]]に上京、[[1970年]]には俳優小劇場に入団。
 
[[1971年]]、結婚。
 
[[1972年]]に芸名を改め、[[にっかつロマンポルノ]]の『濡れた唇』に出演し、脚光を浴びる。同年、[[神代辰巳]]<ref>『青春の蹉跌』『もどり川』『ベッドタイム・アイズ』など多数の名作、佳作を残した</ref>の『[[一条さゆり 濡れた欲情]]』<ref>キネマ旬報8位と高い評価を受けた</ref>にも脇役として出演<ref>{{Cite web |url=https://filmarks.com/movies/57719 |title=一条さゆり 濡れた欲情 |accessdate=6 August 2020}}</ref>。