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=== ハワイにおける日本語放送の芽生え ===
ハワイには明治時代以降多くの日本人が移民し一大コミュニティを形成していた。すでに戦前には[[ハワイ報知]]などの日本語新聞が発行されており、1929年にはラジオにおける日本語番組の放送も始まっていた。
 
戦後には日系は白人や中国系を抑えて最大のエスニックグループとなっており、1960年の全米人口調査ではホノルル近郊の人口35万のうち日系人が12万人を占めた。日系はハワイの政財界の上層部にも進出していた。日本語を話す一世・二世による日系コミュニティにとって日本語メディアは渇望されるところであった。1954年に日本航空のホノルル便が就航して以降、日本人渡航者は増加しており、観光業界からのスポンサーシップも期待された。
 
1960年にはKOHOが初の全日日本語放送を行い、1963年には[[KZOO]]が放送を開始している。テレビ受像機が普及が始まると日本語によるテレビ放送も求められるようになった。1952年12月21日の1630から1時間、[[KGMB|KGMB-TV]]で日本語番組が放送された{{Sfn|魚住|1998|p=82}}。その後KONA(現在のKHON)、KULA(現在のKITV)など、各局でも少しづつ定期的な日本語放送が行われるようになった{{Sfn|魚住|1998|p=82}}
 
そんな中、敏腕のメディア経営者として知られたリチャード・イートンはハワイでKTRG-TVというテレビ局の経営が傾いているという情報を聞きつけ、フレンドリー・ブロードキャスティング・カンパニー(以下「フレンドリー社」と表記)を開設してこの局をオーナーのハワイアン・パラダイス・パーク社から買収し、自ら経営を立て直そうと画策した{{Sfn|魚住|1998|p=83}}。1966年にはフーヴァー立石(Youichi Hoover Tateishi)がフレンドリー社に加わった。ハワイ生まれの立石は[[ハワイ大学]]を卒業後、米軍に勤務したのちに日本語ラジオ局KOHO、KZOOの開設に関わり、その経営に尽力していた{{Sfn|魚住|1998|p=84}}
 
1966年2月3日のこと、フレンドリー社は放送通信事業の規制監督を行う[[連邦通信委員会]](FCC)に対して放送免許の移行を申請した{{Sfn|魚住|1998|p=83}}が、それに対してFCCは免許移動にあたって、市場調査の妥当性、コミュニティーのニードが本当に満たされるのか、管理能力はあるのかの3点について聴聞を行う必要があると通知してきた。さらにFCCのジョンソン委員による「外国語放送の有益な面を評価しつつも、それによる国家の分裂や分断化を懸念せざるを得ない」という内容の反対意見書が添付されてきた{{Sfn|魚住|1998|p=85}}
 
この通知を受けて事態が膠着すると判断した立石は一旦フレンドリー社を離れて単身日本に渡り、東京や大阪のテレビ局を訪問して番組の調達ルートを開拓した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。またKTRGの権利者デヴィッド・ワトゥマル(David Watumull)と交渉し、定期の日本語番組の放映を開始した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。この番組には日本からの番組のみならず独自制作の番組も含まれ、日本語講座や地域番組、女性向けの番組などがあった{{Sfn|魚住|1998|p=84}}
 
1966年10月28日に聴聞会では立石やハワイ大学のジョン・ヤング博士など行われハワイにおける日本語放送の必要性を主張した。その結果、審査委員会は放送免許の移管を認可した。初代ゼネラルマネージャーには立石が就任した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}こうして1967年11月3日にKIKUは初放映を行った{{Sfn|魚住|1998|p=87}}。KIKUの由来は「菊薫る天長節の佳日を期して初放映を行ったところ」に由来するという。当初は設備も不十分で視聴取状態も悪く、映像が途切れたので「聞くテレビ」などとヤジが飛ぶこともあったというが{{Sfn|魚住|1998|p=87}}、立石や2代目ゼネラル・マネージャーのジョアン二宮らは地道に改善を積み重ね、順調に人気を集めた。特にジョアンの時代劇や子供番組路線が公表を博した{{Sfn|魚住|1998|p=88}}
 
1981年、円高による番組放映権の高騰もあって買収されることとなった。
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時代劇から新しいドラマ作品まで幅広く選択されている。
 
*[[大河ドラマ]]{{Sfn|魚住|1998|p=88}}
*[[紅白歌合戦]]{{Sfn|魚住|1998|p=88}}
*[[土曜ワイド劇場]](英題:Mystery Theatre)<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/programs/japanese/mystery-theatre/ |title=Mystery Theatre |publisher=KIKU |date= |accessdate=2021-08-30}}</ref>
*[[相棒]](英題:partners)<ref>{{Cite web |url=kikutv.com |title=Partners 14 |publisher=KIKU |date= |accessdate=2021-08-30}}</ref>
143行目:
*{{Cite web |url=https://www.thehawaiiherald.com/membership-account/max-free-articles/ |title=Lead Story – JAPANESE-LANGUAGE MEDIA IN HAWAI‘I |publisher=Hawaii Herald |date=July 16, 2021 |accessdate=2021-08-30}}
 
*{{Sfn|魚住|1998|p=82}}
*{{Sfn|松永|2015|p=}}