「国鉄50系客車」の版間の差分

 
[[File:Izumo 50 kyakusha.jpg|200 px|right|thumb|運用がなくなり留置された車両<br />製造からわずか10年ほどであったが、早々に解体された<br />1992年 [[出雲市駅]]]]
民営化後は、前述のように[[シティ電車|国鉄末期以降は各地で「短編成・高頻度」型のフリークエント・ダイヤへの転換]]<ref group="注">当時地方線区の普通列車は電化路線であっても電車そのものの不足もあり客車列車を淘汰できずにいたが、電車急行列車の大幅な削減・廃止によって冷房装置付きの[[急行形車両|急行形電車]]に余剰が発生したことから、これに近郊向け改造・短編成化・中間車の先頭車化改造などを施工し、地方線区での普通列車の電車への置換え、ならびに列車本数の増加を図った。</ref>が相次ぐと、折り返し駅での[[機回し]]作業の必要がない[[電車]]・気動車への転換が進み、客車列車の本数は著しく減少した。また、急行列車の大幅な縮小によって余剰となった急行形車両が普通列車に転用されたため、早々と余剰車が発生する事態になった。さらには、民営化の際に[[JR貨物]]が別会社になったことで、「朝夕には客車列車を、昼間には貨車を牽引させて機関車を効率的に使用する」という手法も成り立ちにくくなった。
 
JR化翌年の1988年(昭和63年)には、四国配置車に早くも大量の余剰車が発生する状況になり、他社においても余剰化が進行した。一部の車両が[[JR北海道キハ141系気動車|キハ141系]]・[[JR西日本キハ33形気動車|キハ33形]]への改造に充てられたものの、基本構造の違いのため改造費用が高額になったことから、ほとんどの車両は転用されずに民営化翌々年の[[1989年]]([[平成]]元年)から淘汰されるようになり、製造後7年から12年という短期間で500両以上の車両が廃車された<ref group="注">[[気動車|内燃動車]]の法定耐用年数(11年)とほぼ合致する。</ref>。これらの車両はほとんど老朽化しておらず、単にフリークエントダイヤにそぐわなくなったことと非冷房だったための廃車だったが、当時は中古車両を海外譲渡するシステムが確立されておらず、早々とスクラップになった。
[[2021年]](令和3年)4月現在、JRグループの営業運転に投入される車両は、JR北海道の「[[ノロッコ号]]」やJR九州の「[[SL人吉]]」といった観光を主目的とした不定期列車に限られている<ref name=":0">{{Cite journal ja-jp|和書|title=JR旅客会社の車両配置表|url=https://railf.jp/japan_railfan_magazine/2019/699/699-furoku.html|publisher=[[交友社]]|journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]|serial=通巻699号(2019年7月号)|volume=59|pages=4・16・27・32}}(別冊付録)</ref>。
 
鉄道車両の置き換えは老朽化の進んだ旧形車両を新形車両に代替するのが通例であるが、本形式は一部の例外を除いて冷房装置がなく、相対的に接客設備が劣っていたことや、短編成化によって高コストになったことから本形式は先んじて淘汰が進んだ。西日本や四国では製造から10年前後で、しかも本形式よりも15ないし20年ほど以前に製造され老朽化がより進んでいる冷房車([[国鉄キハ58系気動車|キハ28]]など)に置き換えられて、廃車・解体されていった<ref group="注">昭和30年代に製造された[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系列]]と同時期に引退している</ref>。時代背景が異なるものの、本式よりはるかに接客設備が劣っていた[[国鉄70系客車]]でさえ転属や改造を行なって20年以上使用されたことを考慮すると、[[日本の鉄道史]]でも特異な例といえる<ref group="注">JR移行後に動力分散方式への移行が急速に進んだでもある。</ref>。
 
== 構造 ==