「上小阿仁村」の版間の差分

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* 2008年(平成20年)3月、栃木県の開業医で僻地医療に20年間の従事経験のある医師B(当時67歳)が「この村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を続けたい」と着任したものの、村人からの嫌がらせにより、4か月で辞意を表示した<ref>{{Citenews|title=村で唯一の医師が辞意。献身的な医師に対する村人の心無い罵声が背景か…秋田・上小阿仁村|newspaper=[[読売新聞]]|date=2010-03-10}}</ref><ref>{{Citenews|title=無医村のため力尽くす秋田・上小阿仁に松沢医師着任|newspaper=[[河北新報]]|date=2008-02-07}}</ref>。Bは自分が考えていた地域医療と、住民が望んでいた医療サービスにギャップがあった事と、村役場から診療所の赤字について繰り返し干渉を受けて勤労意欲を失ったと語った<ref name=katou/>。後任の医師Cが決まるまでの13か月間勤務し2008年12月に退職した(2人目の退職)<ref name=katou/>。
 
* 2009年(平成21年)1月に、[[離島]]や[[タイ王国]]で医療に従事した経歴を持つ医師Cが新たに着任するも、Cも翌2010年(平成22年)3月に辞意を表明、「後任が見つかるように」との理由から[[2011年]](平成23年)3月をもって離職すると発表した。この辞意表明の直後、数多くの村民からの慰留、村当局による改善策の申し入れにより、一度は辞意は撤回されたが<ref name="yamenaide">{{Citenews|title=辞意撤回「頑張ってみます」上小阿仁村の有沢医師「やめないで」署名600人|newspaper=[[読売新聞]]|date=2010-03-20}}</ref>、2010年(平成22年)9月にCは再び退職願を提出し、2011年(平成23年)2月下旬受理された(3人目の退職)<ref>{{Citenews|title=上小阿仁再び無医村の危機|newspaper=[[読売新聞]]|date=2011-03-29}}</ref>。退職の理由は健康管理の問題であり、人間関係以外の問題を理由としていた。中傷とされるような投書や意見が村役場や診療所に対して来たことが確認されたが、医師に直接的にそのような言葉がかけられた事実は確認できなかった<ref name=katou/>。在職期間は2年4か月であった<ref name=katou/>。
 
* [[北海道]][[北見市]]から2011年(平成23年)6月に赴任した医師Dも、2012年5月に村に辞意を伝えた<ref name="sakigakenp">{{Cite news |title=上小阿仁村の公募医師が辞意 3連続1年で |newspaper=秋田魁新報 |date=2012-07-14 |url=http://www.sakigake.jp/p/akita/national.jsp?kc=20120714c |accessdate=2012-07-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121107051356/http://www.sakigake.jp/p/akita/national.jsp?kc=20120714c |archivedate=2012年11月7日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。[[2012年]][[10月12日]]にDは退職した(4人目)。村民とのトラブル等は全く報告されていなく、退職の理由は、内地の気候が体に合わないという内容であった<ref name=katou/>。
 
* 同日付で北海道[[帯広市]]の医師・[[西村勇 (医師)|西村勇]]が診療所の新所長に就任した<ref>{{Citenews|title=医師居着かぬ村診療所、女性医師「中傷で退職」|newspaper=[[読売新聞]]|date=2012-10-01}}</ref>。しかし着任早々から複数のトラブルがあり2週間目から村外に外出したまま所在不明となった。西村はそのまま北海道の自宅に戻っており「もう秋田には戻らない」とFAXで退職願を提出し11月に退職となった(5人目)<ref name=katou/>。理由は体調不良とされた<ref>{{Cite news |title=またも常勤医が辞意、上小阿仁村 着任1カ月足らず|newspaper=秋田魁新報|date=2012-11-07|url=http://www.sakigake.jp/p/akita/national.jsp?kc=20121107c}}</ref>。西田の退職後は半年間所長不在期間となった<ref name=katou/>。
 
* [[2012年]](平成24年)[[11月22日]]、前[[北秋田市]]長の[[岸部陞]]が所長に就任し、診療を再開した。村は後任が決まるまで当分の間、診療を続けてもらう方針であると発表した。しかし僅か5か月後の2013年4月30日付けで岸部も退職する(6人目)。後任が決まるまで週1回[[泌尿器科学|泌尿器科]]の診察にあたっている医師が臨時で所長に就任した。岸部が担当していた内科・外科については週1回外部から招聘した医師が診察にあたるとしていた<ref>{{Cite web|date=2013-04-26|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20130425-OYT8T01370.htm|title=上小阿仁診療所長 退職へ|publisher=読売新聞|accessdate=2013-04-26}}</ref>。2013年3月に自治体の首長時代に管理運営していた福祉施設の施設長が病に倒れ、北秋田市より施設長就任を依頼され、退職することになった<ref name=katou/>。
 
* 前医師の退職から村は公募や医師派遣会社へ医師の就任を要請したが、このとき既に「医者いじめの村」という噂が全国に広く知れ渡っていた<ref name=katou/>。それでも応募してい連絡が来る医師もいたがには法外な報酬を約束する条件が付いていた<ref name=katou/>。2013年6月、九州の離島に勤務していた医者Eが3か月間の期間限定で所長に就任した<ref name=katou/>。村は契約の延長を求めたがEは当初の契約通り3か月で退職した(7人目)<ref name=katou/>。
 
* 2013年8月19日、かつて診療所の前身に当たる施設で勤務した経験のある[[内科学|内科]]医の柳一雄が常勤医師として着任した<ref>{{Citenews|title=8月から常勤医秋田・上小阿仁の診療所|newspaper=朝日新聞|date=2013-07-18|url=http://www.asahi.com/area/akita/articles/TKY201307170649.html|accessdate=2014-06-26}}</ref><ref name=katou/>。以来2021年現在まで柳が所長を務めている。契約は柳が80歳になるまでであったが、後任が見つからないために1年刻みで契約を毎年更新している。