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1967年、新左翼各派は[[佐藤栄作]][[首相]]の[[ベトナム共和国]]([[南ベトナム]])訪問を阻止しようと[[東京国際空港|羽田空港]]に乗り込み、[[機動隊]]と衝突した([[羽田事件#第一次羽田事件|第一次羽田事件]])。この時北小路も逮捕されている。
 
[[1991年]]隣の家を誤爆した[[外務省審議官実父宅放火殺人事件]]について報道関係者から事件について問われ、「誤爆ではない」「罪を問われる人の自宅を攻撃対象にする以上、(家族が巻き添えになるのは)すれすれの問題だから仕方がない部分がある。家族にも半ば責任がある」「そのような質問自体、気に入らない」と正当化して開き直った(ただし、[[堤功一]]を狙った理由として当時の[[明仁|天皇]]・[[上皇后美智子|皇后]]の[[ASEAN|東南アジア諸国連合]]諸国歴訪を取り持ったと言う理由であったが、堤は全くの無関係であった為、北小路ら中核派による明らかな失態であった)。その後は目立った活動はなかったが、常に[[公安警察]]の監視対象だった。
 
2010年11月13日、入院先の病院で[[敗血症]]のため死去した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101116/acd1011160829003-n1.htm 樺美智子さん死亡の学生デモ…中核派最高幹部の北小路敏氏が死去] 産経新聞 2010年11月16日閲覧</ref>。74歳没。