「甲斐錦勝」の版間の差分

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体重90kgに満たない小兵であったが、左四つからの吊りや寄りが得意で、しぶとい相撲を取った。しかし、幕内在位は5場所に留まり、幕内に於いての勝ち越しもわずか2度(1949年5月場所…8勝7敗、1950年1月場所…9勝6敗)に終わっている。平幕時代の[[栃錦清隆|栃錦]]と対戦した事がある。
 
現役晩年は十両11枚目まで陥落し、十両11枚目で全休して[[幕下]]陥落が決定的となった[[1951年]](昭和26年)5月場所後、30歳で[[引退|廃業]]<ref name="nisho35"/>。
 
廃業後の動向は不詳。[[2020年]]が生誕百年にあたるが、大相撲史上関取経験者の[[センテナリアン]]は存在せず、健在であれば史上初の事例ということになる。
廃業後の動向は不詳。
 
== 主な戦績 ==
 
== 家族 ==
[[甥]]に、[[プロレスラー]]として活躍した[[ジャンボ鶴田]](本名・鶴田 友美(つるた ともみ))がいる。 甲斐錦が[[相撲界]]を去る直前の、[[1951年]](昭和26年)3月に誕生した。出身地は、[[おじ|叔父]]の甲斐錦と同じ[[山梨市]][[牧丘町]]。なお、ジャンボ鶴田の好敵手[[天龍源一郎]]は相撲時代二所ノ関部屋にいたので甲斐錦の部屋の後輩に当たる
 
== 脚注 ==