「カルロ・ディ・ドゥラッツォ」の版間の差分

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| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 配偶者1 = アルバ女伯[[マリア・ディ・カラブリア]]
| 子女 = ルイージ<br>ジョヴァンナ<br>アニェーゼ<br>クレメンティーナ<br>[[マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ|マルゲリータ]]
| 家名 = [[アンジュー=シチリア家|アンジュー=ドゥラッツォ家]]
カルロは1336年に父の跡を継ぎ、ドゥラッツォ公となった。
 
1343年4月21日、アルバ女伯[[マリア・ディ・カラブリア]]と結婚した。マリアはカラブリア公[[カルロ (カラブリア公)|カルロ]]の娘でナポリ女王[[ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王)|ジョヴァンナ1世]]の妹に当たり、当初は[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]もしくは[[フランス王国|フランス]]王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]の妃となる予定であった。しかしカルロをナポリ王位継承に近づけるため、マリアはカルロと母アニェスにより誘拐され、カルロと結婚させられた。
 
カルロはジョヴァンナ1世の夫[[アンドレア・ドゥンゲリア|アンドレア]]の暗殺の謀略からは一線を画し、ジョヴァンナおよびその2度目の夫ターラント公ルイージとは対立した。カルロは支援を求め、ハンガリー宮廷と接触した<ref>Goldstone, p. 168</ref>。カルロは自身の目的のため、[[ラヨシュ1世のナポリ遠征|ラヨシュ1世の侵攻]]とジョヴァンナの逃亡を期待していたが、カルロは捕まえられ[[アヴェルサ]]でハンガリー人により斬首された。