「エドモンド・ヒラリー」の版間の差分

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導入部には不適。「栄誉」の立項
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'''エドモンド・ヒラリー'''([[英語|英称]]:Sir Edmund Percival Hillary, [[ガーター勲章|KG]], [[ニュージーランド勲章|ONZ]], [[大英帝国勲章|KBE]], [[1919年]][[7月20日]] - [[2008年]][[1月11日]])は、[[ニュージーランド]]出身の[[登山家]]、[[冒険家]]、[[養蜂|養蜂家]]。
 
[[1953年]][[5月29日]]午前11時30分([[UTC+5:45|ネパール時間]])、[[テンジン・ノルゲイ]]と共に、人類初となる[[エベレスト]]山頂到達に成功した<ref>{{Cite |和書 |author = マルゲリータ・ジャコーザ, ロベルト・モッタデリ, ジャンニ・モレッリ |translator = 村田綾子 |title = 世界の特別な1日 |date = 2017 | pages = 95 |publisher = 日経ナショナルジオグラフィック社 |isbn = 978-4-863133-85-3}}</ref>。
 
存命中からニュージーランドの[[ニュージーランド・ドル|銀行券]]5ドル紙幣の[[肖像]]に採用されている。
 
「なぜ[[エベレスト]]に登るのか?」の質問に「そこにエベレストがあるから」(「そこに山があるから」は誤訳)と答えたと、しばしば勘違いされている<ref>[http://www.mbs.jp/jounetsu/column/post-115.html] 重松清による</ref><ref>[http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=470] 白川勝彦による</ref><ref>[http://www.geocities.jp/shizentoningen/si-hyakumeizan-houkoku.htm] 研修会「日本百名山を歩いて」参加報告 Ⅱ</ref>。これは英語圏においても同様である<ref>[http://www.forbes.com/global/2001/1029/060.html "Because it's there"] Forbes,2001年10月29日. 最初の段落:Most people think the famous climbing phrase “because it is there” was first uttered by Edmund Hillary when he and Tenzing Norgay conquered Mount Everest in 1953. Not so. Actually George Leigh Mallory, three decades earlier, said it as he prepared to scale the world’s highest peak.</ref><ref>[http://blog.oup.com/2008/01/edmund_hillary/] "Because it’s there:A Tribute to Sir Edmund Hillary", by Kurt Hettler, OUPblog(Oxford University Press's Academic Insights for the Thinking World, 2008-01-11 このタイトルに対して、"I do hope that you realize that the quote has nothing at all do with Hillary. It was said (probably sarcastically) 30 years earlier by George Mallory."のコメントがある。</ref>。この言葉は[[ジョージ・マロリー]]によるものである。[[ジョージ・マロリー#「そこにエベレストがあるから」]]を参照のこと。
 
</ref><ref>[http://blog.oup.com/2008/01/edmund_hillary/] "Because it’s there:A Tribute to Sir Edmund Hillary", by Kurt Hettler, OUPblog(Oxford University Press's Academic Insights for the Thinking World, 2008-01-11 このタイトルに対して、"I do hope that you realize that the quote has nothing at all do with Hillary. It was said (probably sarcastically) 30 years earlier by George Mallory."のコメントがある。</ref>。この言葉は[[ジョージ・マロリー]]によるものである。[[ジョージ・マロリー#「そこにエベレストがあるから」]]を参照のこと。
 
[[小惑星]][[ヒラリー (小惑星)|(3130) Hillary]]はヒラリーの名前にちなんで命名された<ref>{{cite web|url=https://minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=3130|title=(3130) Hillary = 1969 TB = 1980 KO1 = 1981 YO|publisher=MPC|accessdate=2021-09-10}}</ref>。
 
== 来歴 ==
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[[File:Edmund Hillary and Tenzing Norgay.jpg|thumb|right|280px|エベレスト登頂を達成したヒラリー(左)とノルゲイ(右)(1953年5月29日)]]
1953年3月、英国隊は[[エベレスト・ベースキャンプ|ベースキャンプ]]を設置。エヴァンズとパートナーのトム・ボーディロン(イギリス人)が第1次アタック隊に指名され、ヒラリー・ノルゲイペアは第2次アタック隊に指名された。同年5月26日、エヴァンズ・ボーディロンペアがアタックを開始するも山頂まで91mのところでエヴァンズの酸素ボンベの不調により登頂を断念。ハントはヒラリー・ノルゲイペアに出動を指示し、同年5月28日、ロウ他2名のシェルパの支援を得て最終キャンプを設置。翌29日早朝よりアタックを開始し、同日午前11時30分にサミットに到達した。英国隊はエベレスト制覇の悲願を達成した。この偉業達成は世界中に報道され、[[カトマンズ]]到着時には盛大に歓迎され、[[イギリス国王君主]][[エリザベス2世]]よりから登山隊37名に対し戴冠メダルが授与され、[[1953年]][[6月6日]]にイギリス国王エリザベス2世より[[大英帝国勲章]][[ナイト]]の[[勲位]]を授与されSir(サー)の称号を得た。
 
=== エベレスト登頂後 ===
エベレスト登頂後は[[イギリス]]の[[南極]]横断遠征隊に参加し、[[1958年]]には[[トラクター]]で[[南極点]]に到達した。同年には、ヒマラヤや南極探険の業績により、[[王立地理学会]]から[[金メダル (王立地理学会)|金メダル(パトロンズ・メダル)]]を授与された<ref>{{Cite web|url=http://www.rgs.org/NR/rdonlyres/C5962519-882A-4C67-803D-0037308C756D/0/GoldMedallists18322011.pdf|format=PDF|title=Medals and Awards, Gold Medal Recipients|publisher=Royal Geographical Society|accessdate=2014年4月15日}}</ref>
 
1985年から1989年まで4年半に渡り、駐インド高等弁務官(現・インド高等弁務官 兼 バングラデシュ・ネパール・スリランカ大使)を務めた。1985年に[[ニール・アームストロング]]と共に雪上飛行機で[[北極点]]に到達し、北極点・南極点・エベレスト山頂の三極を制覇する[[スリー・ポール・チャレンジ]]を世界で初めて達成した。
 
慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、ネパール・[[ナムチェバザール]]地区の開発に力を注いだ。この地区に彼が1960年に建設したクムジュン小学校の校庭にもヒラリーの銅像がある。[[1975年]]、ネパール滞在中の彼の元に向かっていた妻と次女を飛行機事故で失う。
[[1987年]][[2月6日]]に[[ニュージーランド勲章]]を、[[1995年]][[4月22日]]に[[ガーター勲章]]を授与された。[[2008年]]にインド政府より民間人として第2位のパドマ・ビブーシャ勲章を授与された。
 
[[1992年]]より、ヒラリーの肖像が描かれている[[ニュージーランド・ドル]]5ドル紙幣の通用が開始された。
 
2003年7月、ニュージーランドの最高峰[[クック山|アオラキ/マウント・クック]](3,754m)の麓にある[[山岳リゾート]]ホテル、ハミテージ・ホテル前に彼の銅像が建てられた。
 
慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、ネパール・[[ナムチェバザール]]地区の開発に力を注ぐ。この地区に彼が1960年に建設したクムジュン小学校の校庭にもヒラリーの銅像がある。[[1975年]]、ネパール滞在中の彼の元に向かっていた妻と次女を飛行機事故で失う。
[[File:Edmund Hillary State Funeral.jpg|thumb|right|ニュージーランドの国旗を背にかけて、国葬に付されたヒラリーの遺体を乗せた霊柩車を見送る人々。]]
 
晩年はニュージーランドで再び養蜂業を営む。[[1989年]]にジェーン・マルグリューと再婚(彼女の前夫ピーター・マルグリューはヒラリーの登山家仲間で、[[1979年]]に[[ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故]]で死去)。[[2008年]][[1月11日]]に心臓発作により88歳で死去。同年[[1月22日]]にオークランドにて[[国葬]]が行われ、遺灰は遺言によりオークランドの海に撒かれた。
 
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[[2015年]]、遠征時の[[日記]]・[[写真]]・[[:Category:登山用品|装備]]や晩年に至るまでの講演を収録した[[オーディオ・ビジュアル]]素材などが[[ユネスコ記憶遺産]]に登録された<ref>[http://www.unesco.org/new/en/communication-and-information/flagship-project-activities/memory-of-the-world/register/full-list-of-registered-heritage/registered-heritage-page-8/sir-edmund-hillary-archive/ Sir Edmund Hillary Archive] Memory of the World - UNESCO</ref>。
 
== 栄誉 ==
* [[1953年]][[6月6日]]にイギリス君主エリザベス2世から[[大英帝国勲章]][[ナイト]]の[[勲位]]を授与されSir(サー)の称号を得た。
* 1958年に、ヒマラヤや南極探険の業績により、[[王立地理学会]]から[[金メダル (王立地理学会)|金メダル(パトロンズ・メダル)]]を授与された<ref>{{Cite web|url=http://www.rgs.org/NR/rdonlyres/C5962519-882A-4C67-803D-0037308C756D/0/GoldMedallists18322011.pdf|format=PDF|title=Medals and Awards, Gold Medal Recipients|publisher=Royal Geographical Society|accessdate=2014年4月15日}}</ref>。
 
* 1981年12月20日に発見された[[小惑星]][[ヒラリー (小惑星)|(3130) Hillary]]([[:en:List_of_minor_planets:_3001%E2%80%934000#130]])はヒラリーの名前にちなんで命名された<ref>{{cite web|url=https://minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=3130|title=(3130) Hillary = 1969 TB = 1980 KO1 = 1981 YO|publisher=MPC|accessdate=2021-09-10}}</ref>。
 
* [[1987年]][[2月6日]]に[[ニュージーランド勲章]]を、[[1995年]][[4月22日]]に[[ガーター勲章]]を授与された。[[2008年]]にインド政府より民間人として第2位のパドマ・ビブーシャ勲章を授与された。
 
* [[1992年]]よりから、ヒラリーの肖像が描かれている[[ニュージーランド・ドル]]5ドル紙幣の通用が開始された。
 
* 2003年7月、ニュージーランドの最高峰[[クック山|アオラキ/マウント・クック]](3,754m)の麓にある[[山岳リゾート]]ホテル、ハミテージ・ホテル前に彼の銅像が建てられた。
 
== 脚注 ==