「豊田正作」の版間の差分

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1835年2月(天保6年)(43 歳)念願かない桜町勤番となり、以後7年間、江戸·小田原への随行を含めて、懸命に尊徳を補佐する。
1840年(天保11年)伊豆韮山江川太郎左衛門の書簡により、二宮金次郎とともに招かれて出張し、田方郡多田弥次右衛門の一家再興の方法を講じ1380両貸付け、数日滞在し仕法を立てる。
 
1841 年(天保 12年)(49歳)尊徳が幕府に登用されると報徳方の勤番を命ぜられ、やがて小田原に赴任する。このころ御徒目付となる。その後山崎金五右衛門らとともに、仕法を推進しようとしたが、畳お気にて挫折。失意の晩年となり、小田原報徳社の世話をする程度にとどまる。<ref> (尊徳門人聞方集参照)</ref>
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